あつあつの飲み物が好き
特に冬は。
ねこ舌なので、「アツ、アツ、」と言いながら、ちょっとずつ口をつける。
早く飲みたいのでもなく、カップから熱を感じ、湯気を見ていると落ち着く。
時々ランチをする三鷹のカフェは、食後にコーヒーカップとコーヒーが、そのシチュエーションなら最大限だろうと思われる熱さで運ばれてくる。
温められていたはずのカップと、注がれたばかりのコーヒーと、食べ終わって絶妙のタイミングで淹れてくれた店員さんの気配りに、とっぷり心を奪われてしまう。
去年の暮には、家の側に、広々とした一件のカフェができた。
裏山の階段をハァハァ言って上り、弁財天(インド、ヒンドゥー教の女神。 本名をサンスクリット語で「サラスヴァティー」《水多き地の意》といい、穀物や果実を実らせ財をもたらしてくれる水神《蛇や龍の神格化したもの》。 日本では、言葉・芸能・音楽を司る神とも言われる)に手を合わせ、尾根の林道を抜けたところの神社から、再び竹林を下った・・・15分の散歩コース・・・の先にある。
そこで出されるお茶は、テーブルで、ガラスのティーポットを2時間以上もつロウソクで温めながらいただける。
少しずつカップに注ぎ、読書の合間に手を伸ばすと、いつでもあつあつがうれしい。
特にチャイなど、だんだんと濃くなり、後になるほどたのしみだ。
(こちらは、度々行く岐阜県の、木漏れ日のさわやかなカフェ)
「いつでもあつあつ」チャイは、インドにはお店に入らずとも、そこら中にあった。
屋台や雑貨屋さんはもちろん、通りのあちこちに、おちょこみたいな、ザラザラした手触りの素焼きの器と、熱くて濃厚に甘いチャイのやかんを下げたチャイ屋さんがいた。
器は、その場で放ってしまうらしく、隅に土器の山ができていたり、道端に粉々に散っていたりした。
向こうから牛が歩いてくると、すれ違えないくらい細い路地でも、立ち話した人が家の中からやかんを下げてきて、壁にもたれて「まぁ、一杯」。
駅の窓口で切符の買い方を尋ねていると、駅員さんと顔なじみのチャイ屋さんが、「まぁ、どうぞ」。
列車が停車すると、地の割れ目からこみ上げてくるような重低音で、「チャイ~、チャイ~!」と呼びかけながら、おじさんが乗り込んでくる。
長距離バスの受付で手続きをしていても、黙ってやかんが現れる。
お招きいただいた地元ラジオ局のDJさんのお宅は、くるくると階段を上り詰めたマンションの5階。
子どもたちと奥さんとおばあちゃんで、チャイと揚げ菓子を囲んで写真を撮った。
牛とリクシャ(人力車)とノラ犬の行き交う、土埃の大通りをちょっと脇に入り、別世界のようにして現れたお屋敷のリビングでは、お母さんと小学校から帰ってきた制服の娘さんが、ティーカップのチャイとクッキーで、午後のお茶の支度をしてくれた。
日本で飲む上品なチャイとも一味違い、現地のそれは、甘さもコクもスパイスも、その場の混沌も素朴な生の躍動も、とろりと凝縮されて熱かった。
かうんせりんぐ かふぇ さやん http://さやん.com/
特に冬は。
ねこ舌なので、「アツ、アツ、」と言いながら、ちょっとずつ口をつける。
早く飲みたいのでもなく、カップから熱を感じ、湯気を見ていると落ち着く。
時々ランチをする三鷹のカフェは、食後にコーヒーカップとコーヒーが、そのシチュエーションなら最大限だろうと思われる熱さで運ばれてくる。
温められていたはずのカップと、注がれたばかりのコーヒーと、食べ終わって絶妙のタイミングで淹れてくれた店員さんの気配りに、とっぷり心を奪われてしまう。
去年の暮には、家の側に、広々とした一件のカフェができた。
裏山の階段をハァハァ言って上り、弁財天(インド、ヒンドゥー教の女神。 本名をサンスクリット語で「サラスヴァティー」《水多き地の意》といい、穀物や果実を実らせ財をもたらしてくれる水神《蛇や龍の神格化したもの》。 日本では、言葉・芸能・音楽を司る神とも言われる)に手を合わせ、尾根の林道を抜けたところの神社から、再び竹林を下った・・・15分の散歩コース・・・の先にある。
そこで出されるお茶は、テーブルで、ガラスのティーポットを2時間以上もつロウソクで温めながらいただける。
少しずつカップに注ぎ、読書の合間に手を伸ばすと、いつでもあつあつがうれしい。
特にチャイなど、だんだんと濃くなり、後になるほどたのしみだ。
(こちらは、度々行く岐阜県の、木漏れ日のさわやかなカフェ)
「いつでもあつあつ」チャイは、インドにはお店に入らずとも、そこら中にあった。
屋台や雑貨屋さんはもちろん、通りのあちこちに、おちょこみたいな、ザラザラした手触りの素焼きの器と、熱くて濃厚に甘いチャイのやかんを下げたチャイ屋さんがいた。
器は、その場で放ってしまうらしく、隅に土器の山ができていたり、道端に粉々に散っていたりした。
向こうから牛が歩いてくると、すれ違えないくらい細い路地でも、立ち話した人が家の中からやかんを下げてきて、壁にもたれて「まぁ、一杯」。
駅の窓口で切符の買い方を尋ねていると、駅員さんと顔なじみのチャイ屋さんが、「まぁ、どうぞ」。
列車が停車すると、地の割れ目からこみ上げてくるような重低音で、「チャイ~、チャイ~!」と呼びかけながら、おじさんが乗り込んでくる。
長距離バスの受付で手続きをしていても、黙ってやかんが現れる。
お招きいただいた地元ラジオ局のDJさんのお宅は、くるくると階段を上り詰めたマンションの5階。
子どもたちと奥さんとおばあちゃんで、チャイと揚げ菓子を囲んで写真を撮った。
牛とリクシャ(人力車)とノラ犬の行き交う、土埃の大通りをちょっと脇に入り、別世界のようにして現れたお屋敷のリビングでは、お母さんと小学校から帰ってきた制服の娘さんが、ティーカップのチャイとクッキーで、午後のお茶の支度をしてくれた。
日本で飲む上品なチャイとも一味違い、現地のそれは、甘さもコクもスパイスも、その場の混沌も素朴な生の躍動も、とろりと凝縮されて熱かった。
かうんせりんぐ かふぇ さやん http://さやん.com/