見慣れたはずなのに、慣れないものがあります。
心の準備ができていればまだいいのですが、わたしにとって思わぬところで出くわす虫は、いつも生きていればドキッとするし、動かなくなっていればハラハラドキドキします。
子供の頃は家族に見てもらいたくて、思い切ってミミズをつかんだこともありますが、今もよほどのことがなければ思い切りません。
それに、あの頃の「『なんか』面白いカタチをした動くもの」に、「ちいさな『命』」に感じる畏怖の度合が強くなったことで、不用意に殺生するのも避けたくて、さらに近寄りがたくなりました。
どうせならもっと関心を示して構造とか生態を識別すれば、こころのモヤモヤと同じように落ち着いて観られるかな、とも思いますが、今のところその情熱もありません・・・。
とはいえ、バリ島では、コーヒーに飛び込む小バエ、マンゴーを切ったら外側から見えなかった同じ色のにょろにょろ、虫ではないですが昨夜の飲みかけのマグカップに半身浴している朝のヤモリ・・・と、なにかと日本の都心外生命体との遭遇率が高いのです
昨日、ジャワ島の友人と、クタという繁華街にある地元の人向け食堂でイカリングを頼んだら、付け合せの生のキュウリに、ちびアリがついてきました。
現地の小さなお店ではありがちなので、いちおうキュウリをひっくり返してみたら、おっと動いていたのです
後からお皿に上ってくるアリには余裕が持てますが、最初からだとわけが違います。
「わっ、アリ」
こんな時、ひとりだと立ち直るまで一苦労ですが、ショックを受け止めてくれる人がいるとずいぶん慰められます。
友人はフフフと笑いながら、じぶんのナシゴレン(焼き飯)についてきたキュウリを裏返してキレイなのを確かめると、それをわたしのお皿に移し、アリつきキュウリと取り替えてくれました。
今振り返って、もしその時のわたしに彼の行動が思い当るとすれば、「よけとけばいいよ」と言うだけか、そう言って親切にもじぶんのキュウリを分けてくれるかの二つだったと思います。
・・・ところが、彼は案件のそれをフォークで刺したままパクリ!と、口に入れてしまったのです
「あぁ・・・マカンスムッ(アリ食べた)、マカンスムッ、マカンスムッ!」
としか言えないでいるわたしの前で、彼は悠然ともぐもぐしていて、ほんとにだいじょうぶ!?と目で訴えると、平気だよ!というように目を見開いて笑いました。
わたしは最初のドキッが、ハラハラドキドキになっていくのを感じましたが、アリのことはそこまでにして、「だいじょうぶを体を張って示すとはこういうことか!」と衝撃を受けました。
そして後から、なんでそんなに虫がコワいんだっけ。と思ったのです。
そういえば以前、同じようにイスラム教の友人が、二口ほど食べたピザにベーコンが入っているのに気づき(豚肉を食べてはいけないことになっているので)、大慌てのムンクの叫びで、「もう死ぬ!」と席から飛び上がったことがありました
まあとりあえず落ち着いてもらおうと、その時わたしも「だいじょうぶだよー」と笑い、ほら平気でしょ!とおもむろにいただきましたが、今回はピザと違います。
友人も、アリを食べたかったわけではないでしょうし、よけるのが面倒なだけなら、取り替えるのはもっと手間がかかるからしなかったと思います。
それをあえてくっつけたまま食べたのは、時々わたしがカルチャーショックを受けた話をしていたから、この場でたいしたことないよ。と安心させようとしてくれたのかもしれないし・・・いやたぶん、「ぼくなんてへっちゃらさ」と得意なとこを見せつつ、ちょっとからかってみたかっただけかもしれません
ともあれ、それが説得力を持っていたことは確かで、わたしはびっくりして肩の力が抜けました
わからないものを無心に見ていた時より、少し知識を得てじぶんと異なる虫の存在を見分け始めてから、目盛がついた分、漠然としたおっかなさが濃くなっていた気がします。
それにしても、食べちゃうなんてすごいな。
かうんせりんぐ かふぇ さやん http://さやん.com/