午後から、友人宅に行ってきました。
帰り、相変わらず懲りずに、
1円パチンコを打ちました(>_<)
明日は区役所に行く予定です。
それでは・・・・・
午後から、友人宅に行ってきました。
帰り、相変わらず懲りずに、
1円パチンコを打ちました(>_<)
明日は区役所に行く予定です。
それでは・・・・・
昨日、喘息クリニックと、精神科クリニックの
診察に行ってきました。
精神科の主治医にこう言われました。
「小さな目標を立てて物事を進めて生きましょう」と
まさしく主治医の言われる通りです。
僕は、大きな目標を立てすぎです。
今日は久しぶりに、夕方まで寝ていました。
それでは・・・・・
午後3時台から、久しぶりにウォーキングと、
ジョギングをしました。続くように短い距離から
トレーニングして生きます。
明日は喘息クリニックと精神科クリニックの
診察に行ってきます。
それでは・・・・・
ミツオが亡くなってからもう20年が経つね。
中学時代、ミツオは部活動は野球部で、俺はバスケットボール部。
生徒会では、俺が生徒会長で、ミツオは会長補佐でしたね。
そして俺とミツオは、読売ジャイアンツのファンクラブに入っていましたね。
よく、東京ドームにジャイアンツを応援に行ったね。
当時は、東京ドームの外野席は自由席だったね。
今は、全席指定席だよ、ミツオ。
ライトスタンドに座って、お互いおにぎりを食べながら、
「智、今日のジャイアンツの先発ピッチャーは誰かなあと」
と、ミツオは俺に言って、
「そうだなあ、今日は桑田選手かなあと俺は言ったね。」
そして17:25頃、アナウンスがあって、
「読売ジャイアンツ、先発ピッチャー、槙原、背番号17」
とコールされたね。
その時のジャイアンツの4番バッターは、
今、読売ジャイアンツの監督の、原 辰徳選手だったね。
お互いハチマキして、メガホンを持って、
応援したね。
ミツオは、中畑 清選手が好きだったね。
そして月日が流れ、平成2年夏から、ミツオは体調が悪くなりました。
俺は、翌年2月は高校受験が控えていました。
平成3年3月、俺は無事に、東京都立紅葉川高等学校に受かり、
3月下旬位に、ミツオに会い、俺はミツオに、
「来年はミツオが高校受験だね。ミツオも紅葉川、受けなよと
俺が言ったら、智、俺は、東京都立小松川高等学校を受けるよ」
と、俺にミツオは言った事を、今でも覚えているよ。
そしてこの時、ミツオを話をするのが最後になってしまいました。
翌4月、ミツオは14歳の若さで天国に逝きました。
ミツオ、俺は、高校生になってから、20歳まで、
東京ドームに行くことが出来なかった。
ミツオとの思い出が詰まった、東京ドームライトスタンド。
ミツオ、今年は原監督率いる、ジャイアンツは3位でシーズンを
終えたよ。今、ジャイアンツの選手で俺と同い年の選手は、
高橋由伸選手だよ。
ミツオ、去年、俺の親父も、4月に亡くなったよ。
ミツオとの思い出は、宝物だよ。
俺が18歳で、精神障害を患い、うつの時、
何度もミツオの所に行きたいなあと思いました。
ミツオ、どうか天国で、俺の事を見守って下さい。
天国にいるミツオへ。
それでは・・・・・
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YouTube: 【映像と歌詞付】2010読売ジャイアンツ応援歌メドレー
いつまで俺はこんな生活をするんだ。
昨夕も床屋さんの帰りに、パチンコに行った。
先日、ギャンブルを止めたいと言ったばかりじゃないか。
いつまで親、兄弟に世話になりながらの生活を送るのか。
俺ももうあと数年すると、40歳になる。
自分の置かれている立場をよく考えなさい。
先日、友人にこう言っていただきました。
「智は、精神障害リサーチャーの活動と、
バスケットボールに携わればいいんだよ。
ご家族の言われるように、お金を大事に使って、
そして身体を大事にしながら、生きればいいんじゃないかな」
「智の目標は、「精神医療サバイバーの広田和子さん」のように
なりたいんだろ」
「大きな目標があるじゃないか」
まさしく友人のアドバイス通りです。
僕は、精神医療サバイバーの広田和子さんのようになることが、
大きな大きな目標です。
地道に生きて行くしかないじゃないか。
お話は変わりますが、中学時代、生徒会長をしながら、
バスケットボールの練習に、試合で走る事が、
出来たのは、毎日毎日の、朝練習、放課後の練習に、
運動音痴の自分が、一生懸命頑張ったからじゃないか。
もう一度、学生時代の辛かった練習を、今、想い出して、
また今日から、自分なりに生きていこうじゃないか。
バスケットボールは前にも書いたが、俺の人生において、
大恩あるスポーツです。
以前、お世話になった、作業療法士さんに、こう言っていただきました。
「智さんは、ご自身のハンディキャップの精神障害を、
気合いで良くしようとか、根性でなんとかされようとかなさっている。」
「智さん、この病は、気合いとか、根性とかでは、余計に良くありません」
と、アドバイスしていただきました。
頑張りたい。生きたい。こんな僕でも、
僕の生き様で、少しでも、人に、希望と勇気を送りたい。
それが僕の、リサーチャーの活動であり、僕の生涯の仕事だと
思います。
とにかく今、世界社会が混迷しています。
頑張ろう日本。頑張ろう世界社会。
頑張ろう東北。そして生き抜け、自分自身よ。
またいつもごとく、まとまりのない、支離滅裂な書き込みに
なってすみません。
このあと、少し休んで、僕の大親友との想い出を
書きます。
それでは・・・・・