私の思想半生記(4)

2016-03-07 00:08:13 | 私の思想半生記
その頃、スーパーがあちこちに出来、塾も乱立しました。
学校の授業だけでは進学校へ行けないとの噂が立って、主婦のパートが流行りました。

私もやりたかったのですが、家族の反対に遭い、家で出来る仕事を探したのです。
その頃は子どもの数も多く、ピアノを習いたい子も多かったのですが、先生の数が足りなかったのです。
バイエル位なら教えられるよ、と友達の娘さんを安い月謝で教え始めたのがキッカケで、口伝えで、どんどん生徒は増え、思いがけなく音楽教室になったのです

近所の楽器店の講師資格を取り、大人の大正琴教室も。
そこの生徒さん(主婦)が共産党員だったのです。

気さくな良い方で大の仲良しになり、生徒の紹介もして頂きました。
共産党関係の会合も誘われたのですが、忙しくて選挙時に名前を書くだけでした。

でも市会議員は通っても、国政選挙に通る人は少なかったのです。
のん子さんの力が必要だと言われました。
そんな~
自分が入れる分には良いとして、人様に勧めるにはそれだけの自信・裏付けがありませんとね~。

で、一番気になっていた国防のことを聞きました。
平和な世界を目指す共産党は軍隊を作らないそうです。

でも相手国から攻められたら?
そんなことにならないように外交で防ぐと・・・。
そんなことが出来るの~?とは思いましたよ、サスガに(笑)

でもスイスは永世中立国で、上手くいっていると。
騙されました
ほんとは国民皆兵制だったのですね。
ちゃんと自分で調べなかった私も悪かったのですが、聞かれたその人も知らなかったんだと思います。

で、何かの選挙の前の決起大会みたいなのに人数合わせに、どうしても行って欲しいと頼まれたのです。
それが共産党から離れる結果になったのです

その会場は熱気に包まれていて、何かの宗教団体みたいでした。
何か言うたびに拍手、バンザイ!で、私はこう言うのはキライなんです
一刻も早く帰りたかったです
自分で自分がイヤになりました。

ただ救われたのは、一番長期に支持はしていましたが、他人様に勧めることをしなかったことです
共産党が世間一般に受け入れられていないのは、よく知っていましたし、生徒の親に勧めたことはありません
自分の環境から来る男社会への批判票だったのです
全面的に信じていたわけではなかったので、スッキリと離れられました


その内に民主党旋風が起きたのです。


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次は民主党支持へと続きます。

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コメント (4)
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