こちらへ続けます。
きりがないかもなのですが(^-^;、やはり気持ちがスッキリしないので、ごめんなさいね。
(共同管理人のえありすさんからです)・コメントを書いた人
えありす
・タイトル
皆様、こんな言い訳をしていますが…
・コメント
>まるで、「踏み絵」 とのこと。
次々と 「私ではありません。」 「私ではありません。」 と、忠誠を誓うコメントに対し、
「あなたではないのね。あなたを信じますよ。」 の状態だと、お聞きし、お訪ねしてみて確認しました。
信頼関係が成り立って居れば、踏み絵のような忠誠の宣言など、必要ないと思うのですけどね・・・。
ですって。
ほんと読みが浅いのですね。
残念ですけどそうではない。
『先方に懇意のひとから非公開メッセージがはいった』
という麦さんの言葉を皆さんがそれぞれ読み解き
「そんなはずはない、これは先方の謀りである」
と判断しそれぞれが、
そんな事実は無い
と、声をかけずとも阿吽の呼吸の連携プレイの結果。
そこまで読み取れなかった麦さんの負け。
そして、
言い訳にもならない言い訳↓が見苦しい。
---------------
非公開でいただいたコメントに、私は、以下のように返信しました。
「先方で懇意のかたから、非公開メッセージが届くこともあります。」
これは、私のブログへ公開コメントを頂いた特定のかたに疑惑の目が集中しないよう、私としては、その方の立場を、最大限に気遣った言葉です。
--------------
上記の文章を理解できるひと、いますでしょうか?
こちらで
「非公開メッセージを書いたことはない」と言ってくれた皆さん。
この言い訳で納得できますでしょうか?
というか、意味がわかりますか?
>私に届いた、非公開コメントに、何が書かれていたかも知らずに、私からの一方的な公開返信だけを目にして、自分本位に勝手な想像することに呆れ、開いた口が塞がらないとは、このような時に言うのだと思いました。
→麦さんに届いた非公開コメの内容はわかりません。
ですが、麦さんがその人に書いた文章。
『先方(のん子さん)に懇意のひとから非公開メッセージが届くこともあります』
は目に見えていますけどね。
わたしたちはこの「目に見えているもの」に対して「ノー」を突きつけただけ。
この文章をわたしを含めてみなさんが『全否定』したわけです。
麦さんのこの一文は『全否定』されたわけです。
ようするにこの一文は「事実として有りえなかった」というファクト。
のん子さんと懇意の人が、麦さんに非公開メッセージを入れた、という事実は無い。
これが事実。
よって、この一文は捏造でしょう。
どんなに言い訳をしてもその言い訳の意味が不明なら言い訳にならない。
>それが、「なんだか、いやな一文」 として捉えられてしまうことの無念さ。
麦の言うことには、最初から悪意と言う先入観をもって、読まれてしまうからなのでしょう。
→それは自分が今までどうしてきたか、を振り返れば自然とそういう感想が出るのは当たり前です。
さて、ここからがまたまた問題発生です。
先方はこう言っています。
*当方は、新しいパスワード付きのブログを立ち上げた。
ところが、パスワードを解明しようとした人がいる。
(解明した、と書いてあるが?どっちか不明)
*そういう行為は下等なことである。
*その人は「のん子さんに懇意の人」(のん子さんに同意のコメントをする人・麦さん談)である。
*なぜ、それがわかったのか、というと、その読み取ろうとした人のIPアドレスがかつて当方にコメントを残した人なので、IPアドレスが合致したから。
*この下等な事をした人でも、のん子さんたちに「詮索されることのないように」当方はかばってあげるために
「先方で懇意のかたから、非公開メッセージが届くこともあります。」
と、言った。
だということです。
はあ?
ですね。
全然、辻褄が合っていませんね。
結局、「先方で懇意のかたから、非公開メッセージが届くこともあります」
はどこへ行ったのでしょうね。
ようは、この一文は「嘘である」ということです。
この解釈が不満ならば、もっと日本人の言語として完成に近いもので書くべきですね。
きりがないかもなのですが(^-^;、やはり気持ちがスッキリしないので、ごめんなさいね。
(共同管理人のえありすさんからです)・コメントを書いた人
えありす
・タイトル
皆様、こんな言い訳をしていますが…
・コメント
>まるで、「踏み絵」 とのこと。
次々と 「私ではありません。」 「私ではありません。」 と、忠誠を誓うコメントに対し、
「あなたではないのね。あなたを信じますよ。」 の状態だと、お聞きし、お訪ねしてみて確認しました。
信頼関係が成り立って居れば、踏み絵のような忠誠の宣言など、必要ないと思うのですけどね・・・。
ですって。
ほんと読みが浅いのですね。
残念ですけどそうではない。
『先方に懇意のひとから非公開メッセージがはいった』
という麦さんの言葉を皆さんがそれぞれ読み解き
「そんなはずはない、これは先方の謀りである」
と判断しそれぞれが、
そんな事実は無い
と、声をかけずとも阿吽の呼吸の連携プレイの結果。
そこまで読み取れなかった麦さんの負け。
そして、
言い訳にもならない言い訳↓が見苦しい。
---------------
非公開でいただいたコメントに、私は、以下のように返信しました。
「先方で懇意のかたから、非公開メッセージが届くこともあります。」
これは、私のブログへ公開コメントを頂いた特定のかたに疑惑の目が集中しないよう、私としては、その方の立場を、最大限に気遣った言葉です。
--------------
上記の文章を理解できるひと、いますでしょうか?
こちらで
「非公開メッセージを書いたことはない」と言ってくれた皆さん。
この言い訳で納得できますでしょうか?
というか、意味がわかりますか?
>私に届いた、非公開コメントに、何が書かれていたかも知らずに、私からの一方的な公開返信だけを目にして、自分本位に勝手な想像することに呆れ、開いた口が塞がらないとは、このような時に言うのだと思いました。
→麦さんに届いた非公開コメの内容はわかりません。
ですが、麦さんがその人に書いた文章。
『先方(のん子さん)に懇意のひとから非公開メッセージが届くこともあります』
は目に見えていますけどね。
わたしたちはこの「目に見えているもの」に対して「ノー」を突きつけただけ。
この文章をわたしを含めてみなさんが『全否定』したわけです。
麦さんのこの一文は『全否定』されたわけです。
ようするにこの一文は「事実として有りえなかった」というファクト。
のん子さんと懇意の人が、麦さんに非公開メッセージを入れた、という事実は無い。
これが事実。
よって、この一文は捏造でしょう。
どんなに言い訳をしてもその言い訳の意味が不明なら言い訳にならない。
>それが、「なんだか、いやな一文」 として捉えられてしまうことの無念さ。
麦の言うことには、最初から悪意と言う先入観をもって、読まれてしまうからなのでしょう。
→それは自分が今までどうしてきたか、を振り返れば自然とそういう感想が出るのは当たり前です。
さて、ここからがまたまた問題発生です。
先方はこう言っています。
*当方は、新しいパスワード付きのブログを立ち上げた。
ところが、パスワードを解明しようとした人がいる。
(解明した、と書いてあるが?どっちか不明)
*そういう行為は下等なことである。
*その人は「のん子さんに懇意の人」(のん子さんに同意のコメントをする人・麦さん談)である。
*なぜ、それがわかったのか、というと、その読み取ろうとした人のIPアドレスがかつて当方にコメントを残した人なので、IPアドレスが合致したから。
*この下等な事をした人でも、のん子さんたちに「詮索されることのないように」当方はかばってあげるために
「先方で懇意のかたから、非公開メッセージが届くこともあります。」
と、言った。
だということです。
はあ?
ですね。
全然、辻褄が合っていませんね。
結局、「先方で懇意のかたから、非公開メッセージが届くこともあります」
はどこへ行ったのでしょうね。
ようは、この一文は「嘘である」ということです。
この解釈が不満ならば、もっと日本人の言語として完成に近いもので書くべきですね。