新子川柳といえば、川柳をやっている人は誰でも知っている。
私も、新子川柳の本を何冊か読んだ。
あるところで、
いのち不可解人も不可解貝拾う
という句を見つけた。
たぶん素敵な句なのだろう。私には、それを評価する目が無いから分からない。
川柳には動く句というものがあって、虫でも柿でも貝でも何でも良くて、これでなければならないといえない句を動く句というらしい。
この句がそれだとは決して思わない。
そう思いながらも、貝拾うのところは、鍬を打つでも、草を刈るでも、星を見るでも何でも良いように思えるのは私だけだろうか。
新子先生には、弟子も多く居り、こんな失礼なことを書いたらさぞ憤慨されるであろうが、この点について、何かはっきりとした川柳論を誰か示していただけないだろうか。
私も、新子川柳の本を何冊か読んだ。
あるところで、
いのち不可解人も不可解貝拾う
という句を見つけた。
たぶん素敵な句なのだろう。私には、それを評価する目が無いから分からない。
川柳には動く句というものがあって、虫でも柿でも貝でも何でも良くて、これでなければならないといえない句を動く句というらしい。
この句がそれだとは決して思わない。
そう思いながらも、貝拾うのところは、鍬を打つでも、草を刈るでも、星を見るでも何でも良いように思えるのは私だけだろうか。
新子先生には、弟子も多く居り、こんな失礼なことを書いたらさぞ憤慨されるであろうが、この点について、何かはっきりとした川柳論を誰か示していただけないだろうか。