長良の鵜 ズボラ余生

「ズボラ余生とは」:
何事も、前向きに捉え、楽天的に生きていくことです。

★政界再編の動き

2008-05-27 07:41:57 | Weblog
福田政権の支持率が低下して、政界再編の動きが盛んになってきたようだ。
ところで、自公政権になってから、公明党の役割はきちんと果たされているであろうか。
結局、自民党政権の延命に使われているだけではないだろうか。
それからすると、今後どのような政界再編があろうと、似たり寄ったりの結果しか出ないのではないだろうか。
ここはやはり、二大政党が、交互に政権を取れるような体制が必要ではないだろうか。

★温室効果ガス半減の長期目標

2008-05-27 07:33:36 | Weblog
昨日、温室効果ガス50年半減は机上の空論であるようなことを書いたが、だからといって長期目標が必要ないといっているわけではない。
50年半減の目標を立てるなら、途上国、先進国という区別もなく、地球上の国はすべて考慮に入れること。
50年の目標を立てたら、それまでの5年毎ぐらいの小さい目標を立てて、具体的な実施方法も検討することである。
その際には、日本の主張している、積み上げ方式で、どこでどれだけ削減することが出来るかを明確にすること。
最近では、途上国である中国が、あまり積極的で無いように言われているが、人件費が安いということで日本からも多くの工場が移転している。
日本(もちろん日本以外の中国に進出している国も)が、技術の移転も含めて、積極的に温室効果ガスの削減に協力しなければ、中国の温室効果ガス削減も進まないのではなかろうか。

★川田亜子の死

2008-05-27 07:01:24 | Weblog
川田亜子の自殺と聞いて、我が家でも衝撃が走った。
テレビでしか知らないが、美人で背が高く、やや勝気で、とても自殺するような人には見えなかったからである。
15日?のブログが削除されたと聞き、早速ブログを読んでみたら、22日にやはり問題があるようなことを書いており、ブログを読んだ人が激励をしていた。
どうやら、29歳で人生のピークに達しており、もうこれ以上生きても仕様がないという心境になっていたらしい。
死ぬことに彼女なりの美学を持っていたのだろう。
何のために生きるの?というようなことを母親と相談していたようであるが、相談されても死を思いとどまらせることができなかった母親は大変なショックを受けていることだろう。
先日は、学校で一生役に立つことを教えなければと書いたが、これではもっと命の大切さから教える必要がありそうだ。



★温室ガス「50年半減」は机上の空論ではないのか?

2008-05-26 07:24:22 | Weblog
G8環境相会合では、2050年に世界全体で温室効果ガス排出を現状より少なくとも半減させるという。
本当にそんなことが出来るのだろうか。
まず、それらを決めた張本人は、2050年にはたぶんほとんど生きていないだろう。
先のことは分からないし、責任の取りようがない。
日本でも、近い例として、6%削減を掲げていたが逆に10%だったか増加したということがある。
また、人口増加の問題がある。
如何にエネルギー節約をしても、人口増加した分は確実に増加するのである。
次に、開発途上国、特に人口の多い中国などが工業が盛んになり、生活のレベルが上がれば、確実にエネルギー消費量は増えてくる。
そこで、一度排出した熱の効率的な再利用、炭酸ガスの固定化によって温室効果ガスを減らす工夫をしたほうがよいのではなかろうか。

★裁判員制度の延期を

2008-05-25 07:18:46 | Weblog
栃木県では弁護士会が裁判員制度の延期を求める決議を採択した。
その理由は、国民への負担が重過ぎるというのである。
ところで、先進国の中で死刑を行っている国は日本とアメリカだけだという。
私はそんなことも知らなかった。
また、最近では死刑になりたくて罪を犯すものがいるとも言う。
さらに、今まで死刑になったものをみると、やや厳罰化の方向に動いているらしい。
これらいろいろのことを知った上で、国民が裁判員として活動できる人がどれほどいるだろうか。
その一方で、判事がストーカー行為をしていたという。
それでは、早く判事たちが普通の国民とかけ離れた人間でなくなるように何とかしなければならないとも思う。
やはりここは、裁判員制度の議論を進めながら、試験的に導入する程度にとどめ、裁判官の改革を進めるのがよいように思う。

★教職員の2万5千人増は必要か?

2008-05-24 08:23:20 | Weblog
別にゆとり教育が原因ではないだろうが、学力が低下していることは事実である。
しかしながら、教員の数を増やせば学力が向上するというものでもないことも事実である。
暴論、極論をあえて言うならば、義務教育の根本から見直す必要がある。
学校へ行きたくない、勉強をしたくないものまで、無理やり学校へ行かせているから、引きこもりになったり、学校へ行けば授業も出来ないほど混乱するのである。
また、高校、大学に合格すると、とたんに勉強もしなくなるのである。
(現在私には小中学生がいないから現状がどのようになっているかは知らない)。
まず、人間として一生生きていくために必要なことを学校で教えるべきである。
単なる知識の詰め込みであってはならない。
その上で、勉強が出来なくても、世の中へ出れば立派に成功することも出来ることを教えるべきである。
小中学校の成績がすべてではない。
そういうことが分かれば、学校へ行くのも楽しくなるのではなかろうか。
教職員を2万5千人増やせば、年間約1750億円が必要になるというが、人でも金でもだけれど、一度増やすと減らすことが如何に大変かは誰でも知っているところである。



★夕刊は必要か?

2008-05-23 07:13:44 | Weblog
最近、夕刊は必要かという議論をラジオ、新聞で、時々見かけるようになった。
ということは、あまり必要でないと皆が感じ始めたということではないだろうか。
我が家にしても、夕刊を配ってきたバイクが、周りの家はどこも配達しないで、帰って行く。
確かに、夕刊を取る家が少なくなったために、効率も悪くなった。
我が家がなぜとっているかというと、最初は、夕刊もとっているということが、家計に余裕があるという証のようなものであった。
それが、だんだん惰性で取り続けることになった。
今では、必要なことは、ラジオ、テレビ、パソコンで入ってくるので、夕刊を見ても、ぱらぱらと10分くらい見るだけで、ほとんど読むところもない。
講座・公園、サポート、募集・・・とあっても、チラッと見るだけである。
誰かの手記のようなものが3つも4つも出ているが、興味ある人も出てこず、ほとんど読んだこともない。
1面全体が広告となると、ああもったいないと思うだけである。
やはり、この際夕刊は廃止してしまったらどうだろうか。