「坂の上の雲」と日本人 関川夏央

2010年01月10日 | 読書
 NHKは「坂の上の雲」を三年がかりのシリーズで放映する。昨年末、そのパート1を4回にわたって視た。四国出身の主人公達3人、秋山好古、真之の兄弟と正岡子規は、明治の「国が軽かった時代」をおおらかに生き抜いて、自分たちの人生を切り開いた。今回読んだ『「坂の上の雲」と日本人』では、司馬遼太郎傾倒者でもある作家関川夏央が、物語の流れに沿って、その時代(主人公達の青春時代から日露戦争で日本がロシアを破るまで)の分析をしつつ、「作者司馬遼太郎が1968年から1972年にかけてどのような思いでこの小説を書いたのか」を書いている。

 「日本にとっての不幸は、幸運にも日露戦争に勝ったところから始まっている」という史観は司馬遼太郎に始まり、その後一般的な定説となって流布したと書かれている。僥倖に恵まれたぎりぎりの戦勝に慢心した日本軍部が、その後無謀な戦争に突き進み、敗戦という憂き目を経験することになった。日露戦争までの日本人と、それ以後の日本人では何かが変わってしまった。その何かは、実は日本人のDNAの中にもともと存在する資質であり、1970年前後の転機となる日本に於いてその後の時代に暗い予感を感じさせるものでもある。その警告として司馬遼太郎はこの時期に、この小説を書いたのではないか、と関川は分析する。それ以後さらに40年を経過した今の時代に、さらに警告を発するのが関川の目論見なのではないだろうか。

 大きな船は長い航海をすると牡蠣ガラがへばりつき、それ等を取らないと速力は出ない。電池を入れ替えないと懐中電灯も役に立たない。時代精神であれ会社であれ、変貌しつつ延命できるのである。一つの成功体験があったからといって、そのままの方針で突き進めば、道は閉ざされる。時代の変化に伴って、自己を変えて行くことにより、会社も自分自身も存続できる。

 世代というものを考えさせられるところがあった。
 明治の第一世代は明治維新を背負った西郷隆盛や大久保利通。西郷は明治10年に自刃し、大久保は明治11年に横死する。その後の第2世代があって、今回の3人の主人公達は明治の第3世代と書かれていた。第3世代はよく生きた。しかし、残念ながらその後に時代は輝きを失い、暗い時代に突き進む40年となった。何がそうさせたのかと作者は問う。
 また、敗戦という大変化のエポックから日本を復興させた第1世代、その後に続く高度成長企業全盛時代が自分を含む第2世代、そしてその子供達の第3世代がそれまでとは全く異なる様相を帯びる今の時代を生きようとしている。
 時代の価値観の変化が、また新しい世代を作ってゆく。長い歴史のひとコマひとコマにすぎないのだが、その過程で人間は煩悶し、時代を開き、時代に適応して行こうとする。「無常」ではあるが、人間の可能性を信じつつ次の時代を迎えてゆきたいものだ。

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