小麦句会 on blog

俳句「麦の会」の句会のひとつです。 ネット句会を月二回行っています。 この句会は誰でも参加できます。

第438回小麦句会結果発表(1)

2020年10月09日 19時32分55秒 | 1日句会
お待たせしました。
結果発表です。
今回も二回に分けて掲載します。
 






★★★結果発表★★★
 

秋湿りリュックに入れる時刻表    道人

◯(アゼリア)リュックに時刻表を入れるワクワク感が伝わってきます。

○(まきえっと)時刻表を使って調べるっていいですね。

〇(ちせい)季語は「秋湿り」。「時刻表」と言う下5に安定感を感じました。

〇(宙虫)時刻表も最近はみんなスマホのアプリで。だんだん見ない存在になるかも。

 

新蕎麦や遠州森の香を啜り   瞳人

〇(楊子)蕎麦ではなく香を啜ることへの転換がいいです。

 

渋滞の最後尾秋の日の迫る  まきえっと

○(泉)作者の焦りが、良く伝わって来ます。

〇(仙翁)渋滞の最後尾、面白いですね。

〇(楊子)渋滞に加わっているような秋の日をうまくよんであります。

◯(アゼリア)動かない車とまだ暑い日差しにイライラしますよね。

○(メイ)すぐそこまで迫ってくるリズムがリアル。

 

彼岸花木椅子に座る犬と猫   ちせい

〇(仙翁)面白い景色ですね。

○(卯平)彼岸花と木椅子が静。犬と猫が動。その対比がバランス良く収まった。特にこの句の手柄は「木椅子」の焦点化。

◯(アネモネ)カレンダーにしたいようないい景です。

 

遠阿蘇やコロナ移住の花野かな   アゼリア

◎(藤三彩)テレワークやリモートという都会の蜜を避ける新語が喧伝される今、時は移住なのかな。

○(餡子)いままで、俳句にコロナという言葉を直接入れるのには抵抗がありました。でも、切羽詰まってきている感じがしてきました。地方への移住が増えてきているそうですね。高齢者家庭には夢ですが。

 

(選外)(道人)テレワークなのでしょうか。阿蘇周辺への移住には大賛成。

 

曼珠沙華咲いて季節にけじめ付け  多実生

○(幹夫)通称彼岸花、暑さ寒さも彼岸までと言われるように、秋彼岸を過ぎると一段と涼気が満ちる。リズム佳く詠まれ、共感の一句です。

○(まきえっと)お彼岸になると咲いていますね。ここから加速していく気がします。

 

気怠さを遊ぶ九月の街の色    あちゃこ

◯(道人)今年の九月の気分は掲句の通り。Go Toキャンペーンで何処かへ行こうかな、映画か買い物かな、それも何となく面倒。明日起きてから考えよう。

◎(まきえっと)エレベーターの明りや、渋滞。秋霖。「気怠さ」が合っています。

〇(宙虫)気怠さを遊ぶとは九月の気分をよく表している。

 

街煌々に遠き猿山秋深し   仙翁

 

踝を吹き抜ける風彼岸花    ルカ

〇(珠子)彼岸花の足元も風がよく通ります。自分の足元を抜ける風と繋げた視点に納得しました。   

〇(仙翁)くるぶしが面白いですね。

○(幹夫)道端にやさしく咲く彼岸花の景が詠まれて、共感の一句です。

〇(めたもん)「踝」への「風」によって彼岸花を肌で感じるようなリアリティーがあると思います。

〇(楊子)すこし出っ張った踝に感じる風を繊細に感じます。

◯(アゼリア)暑いような肌寒いような今の気候を言い得て妙と思いました。

○(メイ)気持ちの良さと悲しみとを受け止めて、佇んでいる作者を思いました。

〇(ちせい)季語は「彼岸花」。風がこの俳句を支配していると思いました。

 

闘志の幟り正代の九月場所    藤三彩

○(泉)正代は覚醒しましたね。突然変異の様です。しかし、これからが大切です。

○(幹夫)丁度3年前の10月24日、大相撲岡山巡業を見に行った時、正代関に色紙にサインしてもらいました。口上は「至誠一貫」、熊本県出身では58年ぶりの大関正代誕生ですね。

 

用水の小さき水音燕去ぬ   アネモネ

○(メイ)そういえば、写真に用水があったと気がついてハッとしました。お手本にしたいです。 

○(あちゃこ)静かに秋の心地よさがしみてきます。

◎(幹夫)南の国へ飛び去ってゆく燕の景が見えて来そうです。

◎(アゼリア)自然の中の静謐なひとときをたのしんでいる様子が窺えます。

〇(宙虫)小さな季節の変化をとらえていい感じだ。

 

微笑みの妣の招くや狐花    卯平

 

戦場を知る父知らぬ父花野   宙虫

○(泉)ともかくも昭和は終わり、戦争の記憶は風化していきます。

○(あちゃこ)二人の父を戦争の視点から詠みあげ、人生を考えさせられます。

○(餡子)圧倒的に知らぬ父の比率が高くなっている現在。聞いておけば良かったと思うことの多いこの頃です。 

◎(道人)お父様は戦死されて、作者は戦場を知らぬ、と勝手読み。過去現在未来、世界の何処でも通じる普遍性がある。

◎(珠子)この二人の父の関係はいろいろ考えられますが。例えば、生きていれば100歳超えた父と、70代後半となったその息子。戦場を知っている今は亡き父と、戦争は記憶にない息子を同じ花野に置いたと読んで感銘を受けました。作者との関係や作者の立ち位置は気になりますが。  

◎(敏)花野に浸かりながら亡父を偲んでの作と思われます。

○(幹夫)忍ばれます。句のリズムも佳いですね。

〇 (多実生) 父は衛生隊で戦いの後の救護が任務だった様ですが、勝ち戦さでも実戦の後は悲惨だったと聞かされていました。

◎(メイ)戦場を知る父に対して、知らぬ父の心情を考えたことはありませんでした。中七から花野までのリズムが胸に響きます。

◎(卯平)上五の父は詠み手の祖父か。そして父は戦後生。どちらも既に花野=黄泉の世界で遊ぶ身。詠み手は二人の存在を対等にそして冷静に見つめている。詠み手の時代は果たしてどうであろうか。

 

男ありけり彼岸花に涙したと   餡子

 

秋晴や大工斜めに釘を打つ   幹夫

○(泉)「斜めに」正しくプロの技ですね。

〇(瞳人)なんでだろう、と思わせて

〇(珠子)大工さんですから釘打ち機を使っているのでしょうか。我が家の向かいでも新築中。良く晴れた空に響きます。トントンではなくバシッバシッ。屋根の上の大工は前傾姿勢、斜めに釘を打っているかのようです。  

◯(ルカ)釘の打ち方、よく観察しておられます

◎(仙翁)斜めに打つが面白いですね。

〇(めたもん)「斜めに釘を打つ」とは、具体的にどんな場面なのか、或いは象徴的に何かを表しているのか。「斜め」が想像を広げます。

〇(楊子)おもしろい表現です。空を見上げたのでしょうか。

〇(ちせい)季語は「秋晴」。構造計算が背景に有るのかもしれません。

○(卯平)この句の眼目は「斜めに釘を打つ」行為。その行為を読み手にも詩として共感できるか否かは、季語の位置。そこそこに成功している。

 

夜半の月エレベーターに人ひとり   めたもん

○(餡子)今はエレベーターの中も四つに区切線が貼られソーシャルディスタンスを守るようになっています。混み混みのエレベーターが懐かしい。   

◯(ルカ)イマドキを感じさせます

○(メイ)声に出して人に聞かせたくなる、ひそやかな空気感が季語と合って美しい。

○(卯平)詠み手の位置は屋外。このエレベーターは透け透けのそれであろう。だから季語の位置がこの句では不即不離の位置。   

 

曼殊沙華天に還る日来たりけり  メイ

○(卯平)この句では「華天」をどう読み解くかが課題。ふと、この句から「ラストエンペラー」を想起した。季語の位置で彼岸に御座す「ラストエンペラー」が神々しく見えてきた。

 

秋草や道路の水で手を湿す   ちせい

 

ドアノブを拭いて開店秋闌    珠子

○(餡子)大変だと思いますが、きっちりと消毒対策をしていないと不安ばかり募ります。知らぬ間に季節は過ぎて行くばかり。  

◯(アネモネ)よく目にする景。さりげなくて素敵です。

 

新酒酌む還暦祝いの江戸切子   泉

〇(藤三彩)クラブの仲間と飲み交わした時代が懐かしい

◎(瞳人)まだ、さきは、遠いです

◯(アネモネ)還暦ですか。まだまだ若い。

 

秋雨やコロナ感染棒グラフ    楊子

◎ (多実生) 着目した感染の棒グラフは推移が一目で、今世紀の試練が見えます。

○(まきえっと)毎日棒グラフで表示していますね。見た目はわかりやすいです。

〇(ちせい)季語は「秋雨」。ニュースでよく見るやつだと思いました。

 

(選外)(道人)秋の雨量とコロナ感染者数の棒グラフが同時に立ち上がって来て俳諧味あり。

 

ウィズコロナ人それぞれの九月尽    道人

〇(瞳人)こもりっきり、年寄りは、しょうがないけど、トランプいかに

○(敏)もはやコロナ以前の生活にはもどれそうもない私たち。否応もなくそれぞれがそれぞれの「コロナと共に」を模索せざるを得ないのでしょうね、九月が終わってからも。

 

濁酒酌まんか物の怪の気配濃き   敏

〇(瞳人)邪気払いの効があるとは

 

意にそまぬ渾名も我が名曼珠沙華    あちゃこ

◯(道人)曼珠沙華には遠き日の野遊びや悪戯っ子同士の渾名の付け合いの記憶が残っているのだろう。思春期の苦い思い出も懐かしい。

○(敏)死人花の異名をもつ彼岸花同様、作者にも「意にそまぬ渾名」が付けられているのかも知れませんね。

 

ぎすのこゑ久しきかぬを聴きたくて   瞳人

 

明日閉店秋霖の百貨店    餡子

〇(珠子)百貨店で買い物をするのは年に数回の私も無くなるのは本当にショックです。一等地のその巨大な建物の行く末は。明日閉店という臨場感がいい。

○(敏)これもコロナ禍の影響なのでしょうか。「秋霖」がさびしさを募らせています。

 

目に胸に句帖に溢れ曼珠沙華   敏

○(あちゃこ)よーく分かります。曼珠沙華に魅入られてしまいましたね。にの繰り返しが効いています。

○(餡子)彼岸花に埋もれている男性!!ちょっと甘いですが・いろいろな想い出が・・・。 

◯(アゼリア)曼珠沙華が印象的でした。私も二句共入れました。

〇 (多実生) 今年は十日ほど遅くまだ咲いていますが、この句そのものです。

◯(アネモネ)「目に胸に句帖に溢れ」に得心です。

◎(宙虫)曼殊沙華が攻め込んでくるような力強さ。

 

曼珠沙華未来のごとく語る黄泉    珠子  

○(卯平)季語である「曼珠沙華」と下五の「語る黄泉」は近似の範囲。しかし、その関係を遮断し俳句たらしめているのは中七「未来のごとく」。「黄泉」の世界を「未来のごとく」実感する詠み手の心情に共感。季語と黄泉の関係はこの句では許されるであろう。

〇(宙虫)実は明日かもしれない。黄泉に未来の時間はあるのだろうか?

 

笑ふ埴輪出土の古墳彼岸花   アゼリア

○(敏)この埴輪は、おそらく埋葬された幼児の愛玩物だったのでしょうね。

◯(ルカ)埼玉でしょうか。埴輪は奥が深い

〇(仙翁)確かに、笑う埴輪、ありますね。

〇(めたもん)「古墳」が真ん中に置かれ、「埴輪」と「彼岸花」が当たり前のように自然につながり、感じ良く響き合っていると思います。

 

秋燕やかつて屋上遊園地    ルカ

○(泉)昔はデパートの屋上は遊園地で、楽しい場所でした。時代は変化します。

○(あちゃこ)時の流れと変わってゆく人々の暮らし。一抹の感傷。

◎(餡子)ありましたね。船橋の東武百貨店の屋上は、大人の私も楽しかったです。昭和のよき時代。どんなに変わろうと燕は元気!   

◯(道人)かつては百貨店の屋上には必ずと言っていいほど小さな遊園地があった。秋燕と何もない寂しい屋上の取合せが佳い。

〇(珠子)屋上遊園地が消えてから何十年たつのでしょう。季語がいいですね。    

○(幹夫)そう言えば昔百貨店と言えば屋上遊園地が定番でした。取り合わせに共感です。

〇(めたもん)デパートの屋上遊園地。昭和の時代を思い出しながら、ふと上を見上げると秋の燕が跳んでいる。懐かしさのある景です。

〇 (多実生) 時代を感じ懐かしい次第です。

○(メイ)屋上がかつて賑やかだった時を思い出し、季語の見送るしみじみした感じと重なり合います。

○(まきえっと)何でなくなってしまったのでしょう。燕は来年も来ますよね?

◯(アネモネ)ありました。懐かしい景です。

 

透けるビル逢うことのない秋灯    藤三彩

〇(めたもん)「逢うことのない秋灯」が描写する情景と心理。分かりあうことのできない人間の哀しみがこもっているように感じます。

○(まきえっと)「透けるビル」がいいですね。逢うことのないは何に対して何だろう。

 

秋霖のふいに立ち寄る拉麺屋  まきえっと

〇(藤三彩)突然入るそのラーメン屋に当たり外れがありそう

〇(瞳人)そういう手もあったか、そば屋より多いものね

◎(ちせい)季語は「秋霖」。「拉麺屋」が決まっていると思いました。

 

(選外)(道人)やや肌寒い感覚が「ふいに立ち寄る」によく出ている。

 

弥次喜多の古道ほつほつ曼殊沙華   めたもん

◎(泉)「弥次喜多」が出て来るとは、意外でした。人間の想像力は無限です。

◎(あちゃこ)マイナーな印象の多い曼珠沙華が明るく野辺を彩っています。小さな街角にも彼岸花は咲いていますよ。

◯(アゼリア)ほつほつが素敵です。

 

(続く)



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