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△浮浪者の子供との別れ-Painted by M.Yoshida
・昭和44年2月27日(木)晴れ(浮浪者の子供との別れ)
列車は1時間30分遅れで朝の8時頃、パトナー駅に到着した。まだ例の子供は私の後方に付いて来た。アラーハーバード駅から私が何処へ行くのか、ずっと見張っていたのだ。『私の後を追い掛けても、食べ物はもうあり付けないぞ。私だっていつまでも君にかまっていられないのだ。』と彼に言いたかった。私と渡辺は駅の食堂へ入った。2人で5ルピー。食事に満足したので、ボーイ(ウェイター)にインドで初めて50パイサのチップをした。
我々は駅を出て、リキシャを使ってホテル探しをする事にした。子供はまだ私の後から付いて来た。彼の目を見ると、『僕を見捨てないでくれ。』と悲しい目で訴えているかの様であった。『頼むから、もう付いて来ないでくれ。』と言う私の気持であった。リキシャが走り出し、暫らくしたら彼も諦めたのか、その姿は見えなくなっていた。ホッとすると同時に、なんだか悲しくなって来た。
彼と1日一緒に居たので、情が湧いたのも確かであった。旅人にとって情を断ち切るのは、早ければ早いほど良いのだ。しかし彼にとって昨日は、最高の日であった事であろう。残り物と言っても余り手を付けていないタリーを2回も食べられたし、アイスクリームも食べられたのだ。彼にとっては大変なご馳走であったのだ。彼は次の食事をいつあり付けるであろうか。アイスを今度、いつ食べられるのであろうか。私も多少、気に掛かった。立場の弱い、知恵も無い子供の浮浪者・乞食は、生きて行くのに大変であろう。私だって彼の事や乞食の現実を思うと、涙が出るほど悲しいのだ。しかし、乞食や浮浪者(人間)は、生きる執念を持っている。道路や歩道を這いずり回っても、生きて行っているのが現実なのだ。『彼も生き抜いてもらいたい。』そう願うのであった。
我々は、安いドミトリーを方々探すのにリキシャを5回使った。5回ともリキシャマンは嘘をついた。大体1ルピー前後で乗れるのに、その内1度は、大トラブルがあった。終に宿泊代1人2ルピー(約100円)の所を見付けた。しかし2ルピーのドミトリーにリキシャ代を1人3ルピー近く費やしたとは、情けない話であった。
我々は一休みした後、夕方ガンジス川を渡る船着場の食堂で食事をした。茫々たるインドの大地と母なる川・ガンジスの豊かな流れを見ながらの食事は、最高であった。『旅は良いなぁ。』としみじみ感じた。
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