YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

駅員の盥回しと田舎の臭い~アジャンタ、エローラ見物とインド横断鉄道の旅

2022-02-23 09:51:08 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
・昭和44年2月25日(火)晴れ(駅員の盥回しと田舎の臭い)
 Manmad(マンマード)駅へ早く行けば、カルカッタ行きの3等寝台車を予約出来ると思って、6時半に起きた。
 アウランガーバード7時30分の列車でマンマード(切符代3.30ルピー)へ行った。
ボンベイとジャルガウンのほぼ中間のマンマード駅に到着し、お問合せ・予約窓口で、カルカッタまでの寝台券について尋ねた。そうすると係員は「2番ホームへ行け」と案内した。2番ホームへ行ったら、そこは切符集札所であった。乗車券、寝台券の事でどうして切符集札事務室を案内したのか、不審に思った。又、『インド国有鉄道の盥回しが始まったな』と思った。とりあえず尋ねたら、「出札窓口へ行け」と言われた。出札係は何の説明も無く、再び2番ホームの事務所を案内した。完全に盥回しであった。私はついに頭に来て、「2番ホーム事務所でこちらの窓口を案内され来たのだ。アッチだぁーコッチだぁーと案内するな。カルカッタまでの寝台券は何処で買えるのだ」と文句を言った。文句を言ってもインド人特有の守備範囲以外はノータッチの態度であった。インドの駅員は『旅行者の要求に応えてやろう。正確な、そして親切な案内に努めよう』と言う駅係員としての仕事・心構えが全く欠けていた。
 仕方なく、再び2番ホームへ行った。係員は又来た私を訝った。事情を説明した。彼は「23時に来れば助ける事が出来る」と言ってくれた。お役人様の駅員はカーストの上流階級なので英語が話せるのだ。偉いお役人様からやっとお言葉がいただけたのだ。どう助けてくれるのか分らないが、まだ時間も随分あるし、私は疲れているのでひとまず駅前の安ドミトリー(1.25ルピー)で休む事にした。汚い安いと言っても、これが都会以外のインド人が利用する普通の宿泊所料金であった。
 疲れていたけど、『グッスリ』と言う訳に行かなかった。今日も暑くて、気(け)だるさや気持が悪い様な感じがした。私がボンベイに到着したら、マハーラーシュトラ州は既に夏であった。
暑い所為もあり、宿泊所の近くにコカ・コーラを飲める店があったので今日、私は5回も行ってしまった。店の人はボトルで持って来たので、以前体験したコーラ・トラブル(2月23日)は起きなかった。糖分の取り過ぎの感じもあったが、食事をしていないのでカロリー補給分だ。5回も行くと最後の方は、お店の人達と顔馴染みになってしまった。
 お店の前の通りには、牛があちらこちら屯して、家並みも貧弱であった。歩いていると色んな臭い(ウンコ、オシッコ、牛糞、カレー、ゴミ、汗臭い等々の混ざり合った臭い)が漂って来た。インドのそんな臭いも慣れて来ると、そんなに嫌でもなかった。それはむしろ懐かしい日本の田舎・農村の臭いの様な感じがした。
 日本人が珍しいのか、5回も出歩くとこの辺りで目立つ存在になってしまった。子供達までが、「ジャパニ(日本人)だ、ジャパニーだ。ホワッチュアーネーム?(バカの一つ覚えで、これしか知らない)」とうるさかった。 
 ドミトリーを去り、言われた通り23時にマンマード駅2番ホームの切符集札所へ行った。しかし私に言ってくれた係員は居なかった。他の係員では経緯が分らなかったので、私は事情を説明した。その係員が、「何とかするから、2番ホームで待て。」と言うので、私は2番ホームで待った。灯りも点かない真っ暗なプラットホームに、大勢の人が寝ていた。既に寝台車(寝台券)の事は如何でも良かった。
午前0時30分、カルカッタ行きの列車が入って来た。係員は「これだ。」と言わんばかりに、指差しで示した。車内の様子を見ると3等車は、ギュウギュウ詰であった。乗ろうとしたら、ドアは施錠されているのか、混んでいるので中から開かないよう押さえているのか、いずれにしろ押しても引いてもドアは開かなかった。そうこうしている内に乗客多数を残して、列車は発車して行った。こんな満員状態では、無理して乗りたくもなかった。次の列車まで待つ事にした。
 次の列車がいつ来るのか分らなかったが、30分したら来た。何処行きの列車か分らなかったし、係員から何の指図も無かったが、私は構わずその列車に乗った。座席は空いていて、2人分の座席を1人で使用する事が出来た。私はそこに『くの字』に身体を横にした。


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