YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ロンドンの旅~ロンドン見物

2021-08-29 08:49:12 | 「YOSHIの果てしない旅」 第5章 イギリス
△The Tower タワー(Not PFN)

・昭和43年8月29日(木)曇り時々強風(ロンドン見物)
 今朝も同じ時刻に腹が痛くなって来た。これで5日間連続であった。朝が来るのが恐ろしくなって来た。明日こそ治っているであろうと朝食を申し込んでおいたが、三度朝食は、取れなかった。今朝もベッドで40分間位、激痛が治まるのを我慢した。
 最近、満足に食事が取れない状態になってしまった。取れたのは、シーラやジャネットの家の夕食だけであった。近頃は日本に居た時の一食分のカロリー摂取量であろう。食べたくても食べられないのだから、仕方なかった。
 今日はウェールズへ行く前の日であり、彼女と会う約束はなかった。今日は何処へ行こうか、市内地図を広げて思案した。そしてピカデリーサーカスやトラファルガースクウェア等のある繁華街の東側、テムズ川の左岸一帯The City(シティ)へ行って見る事にした。今日もどんよりした空模様であった。出掛ける前にユース近くのカフェ店で朝食を軽く取った。おかしな事に、この時間帯を過ぎると腹の痛みは、治まった。
彼女にロンドン観光で最初に連れて行って貰った中央郵便局の建物があるこの一帯がシティで、イギリスの商業、経済の中心地。銀行、証券取引所等が集中している街並みを見ながらLondon Bridge(ロンドン橋)へ行った。この橋はロンドン最古の橋、まるで城塞の様であった。橋は結構長く、渡っている時に強風に煽られた。8月の夏であるのに寒く、間もなく冬になる様なそんな天候であった。しかも雲は低く垂れ下がり、寂しい陰うつさを感じさせられた。橋を渡っている人々はコートの襟を立てて、足早に去って行った。彼女の話しによるとこの橋は、アメリカの観光会社に売られる、と言っていた。
ロンドンブリッジの上流にTower Bridge(タワーブリッジ)があるので、そこへも行った。最近この橋は、交通量が多くなって来たのと、テムズ川が浅くなった為、大きい船は通る事が出来ないので、橋の開閉はないらしい。橋の袂に古い大砲が並べられ、ロンドンの歴史をひしひしと感じさせられた。
 次にThe Tower(ロンドン塔、又はタワー)へ行った。タワーブリッジの隣に位置し、昔のお城である。王宮・政治犯の牢獄として使われていたが、現在は観光スポットであり、一部が博物館に使用されていた。タワーに着くと凄い衣装を着たビーフィーター(タワーの衛兵)が迎えてくれた。彼等は、真っ赤な外套服みたいなものに金モールを縫い取付け、真っ赤な股引の様なズボンを履き、黒の山高帽子を被り、黒の靴、そして腰には剣をぶら下げていた。バッキンガム宮殿の衛兵の方が格好良かったし、こちらの衛兵は年配の人が多かった。タワーに入るのに2シリング払った。 
 帰り際にユースの近くのカフェ店でコーヒー、フィッシュアンドチップス、それにパンで夕食を取った。日本食を腹いっぱい食べたい今日この頃である。
 夜、彼女に明日の確認の為、ユース前の公衆電話から電話を掛けた。最初、彼女から教えられた電話番号(SPEEDWELL1059)を掛けても通じないので困っていたら、電話を掛けに来た紳士に掛け方を教えて貰った。

                                
                           △イギリスの代表的な料理フィッシュアンドチップス


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