YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

列車転覆事故を見る~ボンベイの旅

2022-02-12 17:47:13 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
・昭和44年2月9日(日)晴れ(列車転覆事故を見る)
 ロスは、「後1泊してデリーへ戻る」と言う事で、私とロンは彼と別れた。我々がリキシャで駅へ向かう途中、馬車に乗った日本人2人が向こうからやって来た。ロンが、「もしもし」と日本語で話しかけたが、知らん振りして行ってしまった。
 我々はアグラ駅からBombay(ボンベイ=改名し現在はムンバイ)行きの列車に乗り込んだ。我々は1人4.5ルピーの3等の寝台車を取った。私にとって3等寝台車は混雑している3等客車より余程良かった。この寝台は身体を横に出来る十分なスペースがあり、それは良いのであるが、毛布が無く、又ベッドはインド人が裸足のまま使用し、鉄道側はカバーを取替えないし、洗濯もしないから極めて汚れていて、不潔さを感じた。そして鉄格子の窓になっていて、まるで牢屋の様であった。それでもこの寝台は、3等客車より余程益しであった。
 3時頃、我々は食堂車で昼食を取った。私はインドの代表的な料理であるカレー定食(1.5ルピー、約75円)を注文した。ロンはカレーが食べられないので、コーラを2本飲んで食事代わりにした。しかし彼は1本分しか払わなかった。彼は良い奴だが、どうもずるい所があった。私は夜も、カレー定食を食べた。
 所で、昼間ある区間を列車がノロノロ走っていたので、如何したのかな?と、外を眺めていたら、貨物列車の転覆事故(機関車と貨車10数両程が脱線し横倒していた。)を見てしまった。案の定、インドは転覆事故や列車正面衝突の事故が多発している、その証明でもあった。
 夜、昼間の事故を思い出した。「この列車は大丈夫なのであろうか。」と心配になるやら、不潔な寝台の寝心地の悪さで、寝付きは余り良くなかった。「この列車の機関士さん、どうか居眠りをしないよう、安全運転をお願いします。」と私は祈った。


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