△ニューデリーの路上の床屋さん(一番左)、その左隣は歯医者さん
・昭和44年2月7日(金)晴れ(ニューデリー最後の日)
今日、私とロンはアグラへ行く事になっていたので、6時に起きた。しかしロンはまだ寝ていた。
「ロン、起きろ。6時過ぎだぞ。アグラへ行くのだろう」と私。
「午前3時に帰って来たのだ。眠いよ。明日行こう、Yoshi」と言って彼は又、寝てしまった。そんなに急ぐ旅でないので、明日でも私は一向に構わなかった。
今日は本当に何もする事がなかった。映画「007」でも見に行こうと思ったが又、超満員で入れなかった。インドは自国のインド映画も洋画も繁盛していた。
夕方、食事にインデア・コーヒ・ハウスへ行ったらロンが居た。暫らくすると昨夜のアメリカ女性も来た。どうも2人は示し合わせていた感じであった。私が来てしまったからロンも仕方ないと言った感じであった。3人で又、日本レストランのミカドへ行って食事をした。
今日、私とロンはアグラへ行く事になっていたので、6時に起きた。しかしロンはまだ寝ていた。
「ロン、起きろ。6時過ぎだぞ。アグラへ行くのだろう」と私。
「午前3時に帰って来たのだ。眠いよ。明日行こう、Yoshi」と言って彼は又、寝てしまった。そんなに急ぐ旅でないので、明日でも私は一向に構わなかった。
今日は本当に何もする事がなかった。映画「007」でも見に行こうと思ったが又、超満員で入れなかった。インドは自国のインド映画も洋画も繁盛していた。
夕方、食事にインデア・コーヒ・ハウスへ行ったらロンが居た。暫らくすると昨夜のアメリカ女性も来た。どうも2人は示し合わせていた感じであった。私が来てしまったからロンも仕方ないと言った感じであった。3人で又、日本レストランのミカドへ行って食事をした。
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