
「峠」 司馬 遼太郎 新潮文庫
先日やっと読み終えました。2か月もかかってしまいました


越後長岡藩の河井継之助という人物の生涯が書かれた小説です。
幕末から明治維新といえば、「竜馬がゆく」でも知られているように、薩長土肥の勤王派 対 新撰組や会津藩を含む
佐幕派が大舞台です。そして今回、この本を読み、中立を考えていた藩がいたことには驚きました。越後の長岡藩です。
他の大藩に比べたら小さな藩です。河井継之助という大きな男にとって長岡藩という船は小さすぎた…と司馬さんは
言っていました。
この時代、先見の明を持ち動いていた人は、ほんの一握りだといっていました。
その一握りの一人に河井継之助が入っているのです。面白いことに、福沢諭吉に会って討論してるんです。
上を観ている人は同じように上を観ている人としか目が合わないのかもしれないですね。
河井継之助が最後どうなるかは、知っていたので、後半は気落ちながら読んでました。
経過を読んでいると、この人のそして長岡藩の無念さといったら…。分かっていながらもなんとかならないものかと
何度も思いました。悲劇ですよ。
なんで、最後の交渉役に若い軍艦将校が出てきてしまったのか…。。。そのせいで無念の歴史は動きはじめてしまったんですよ。
動いてしまったものは仕方がない。今、こうして時代存在している。過去は振り返ることしかできません。
ただ、正しいか悪いかはわかります。反省することが出来ます。同じ過ちをしないために過去があるのではないかと思います。
越後、新潟県長岡に行ってみたくなりました。
「人間はその現実から一歩離れてこそ物が考えられる。距離が必要である、刺激も必要である。
愚人にも賢人にも会わねばならぬ。じっと端座していて物が考えられるなどあれはうそだ…」
「おれは鴉が好きだ…あいつはおれに似ている」
「この鳥がちがっているのは、つねに太陽にむかってまっしぐらに飛ぶところである。鴉は、朝は昇ってゆく朝日
にむかってまっしぐらに飛び、夕は沈んでゆく夕日にむかって目をそらさずに飛ぶ。太陽にむかって飛びうる鳥
は鴉のほかない。おれはそう心掛けている。」
~継之助のいう意味は、自分のきめた生涯の大目的にむかって目をそらさずに飛び続けようということなのであ
ろう。