質問者:ハイル禅師 宗教叩きが基本的に善とされる
性善説になる昨今について どう思われますか?
私:宗教叩きは相当の学識を持ち 真理に精通しなければ
出来ないのだが かえって無知で素人ほど偏見と観念で
行っている事が多いように感じます
例えば正神が存在する宗教に縁が有ったのに自分に証が
出ない理由で霊感商法や詐欺だと吹聴する人もいる
確かに神から功徳を授かる為には布施や玉串料が
必要だが 正神が功徳を与えても証として祈願者に
現れないことも最初のうちは多いのです
例えば劫数が重い人が授かる功徳を真夜中の時間に
例えて午前12時が午前4時まで功徳を授かっても
真っ暗で分からないのと同じ
だが午前6時になると明るさが見えて功徳が実感出来る
つまり神徳は祈願者の全員が受け取っているのだが
素人ほど天の理が理解できず即退会して文句を言う
何度も受ける事で時計の針が進み誰でも実感出来る
ようになる訳です
時計の針が進む速度は劫が重い家系や劫が重い個人ほど
遅いが功徳を積みつつ気長に待つべきであります
ただ即生命に関わる人には劫が重くても神仏も最初から
因縁を抜いて助けることがある
私も観音様の神徳で寿命が延びたが私の家系も劫が重い
から神徳に対する報恩感謝は後払いのような形になる
不用意にネット等で知識が浅薄な人が悪口を書く事で
本来助かるべき人が助からない事態になる為
大きな劫を積む事になり要注意であります