12月1日、雪がきれいに積もったところに、反政府スローガンを大きく書いています。このような反政府デモ活動が続いています。
ノヴォポーロツクの湖に白と赤の風船がたくさん浮かんでいました。近くには病院があります。
昼ごろには消防隊員がやってきて、ゴムボートに乗って風船を回収しました。
ベラルーシカリなどの国営企業の従業員が今日もまた一人また一人と退職しています。
治安部隊員をしていてとうとう嫌気がさし、やめた人物が匿名で取材に応じました。「どうしてあなたのようにやめようと思う警察官や軍人は少ないのか。」という質問に答えていました。
この人の考えによると、警察や軍などで働いているとき、国内の情勢がどうなっているのか情報がないのだそうです。夕方国営テレビを見ることはあるのですが、国営テレビは政府が正しいことをしており、反政府デモ活動参加者は「西側(ヨーロッパ諸国)という人形遣いの操り人形になっていて、バイト代をもらっている。」という政府の見解についての報道しか知らないのだそうです。
ネットニュースを見る環境ではないので、治安部隊がどのようにネット上で批判されているのかよく分かっていないのです。
また軍隊での訓練により、一人だけ変わった行動をして、「隊列を乱す」ことは厳禁で厳しく叱責される・・・という環境の中に何年も身を置いていると、悪く言えば洗脳、よく言えばそれが常識になってしまい、自分だけ少数派意見を言えない精神状態になっているのだそうです。
(日本の閉鎖された社会の中でもよくあることですね。)
さらに軍人の給料はいいほうなので、若い世代は無職になるよりは・・・と仕事(内容はどうであれ)しがみつきます。軍人の中でも階級が上のほうの世代(40代以上)になると、家族のこともあるし、すでに昇級している身分を捨てるのは勇気がいりますから、どんなに世間から批判されても退職しようとはしません。
また軍人や警官は、現政権が転覆されるとは思っておらず、もし政権交代が起こっても、軍と警察はいつの時代、いつの政権にも必要なものだから、無職になることはない、と思い込んで安心しているそうです。
私から言わせれば、もし政権が交代したら、新政権は全ての警官と治安部隊の今年8月9日以降の勤務体制をチェックして実際に警棒で反政府デモ参加者を殴ったり怪我をさせていたことが分かったら、傷害罪で逮捕、裁判、そして有罪判決が出て刑務所暮らしになると思います。
しかし治安部隊の方々(警官と軍人)は政権が変わっても、軍と警察は必要なんだから、自分は絶対無職になることはないとたかをくくっています。そうでしょうか? 私は疑問に思います。過去の罪が暴露され、今度は自分が裁判にかけられる可能性が全くないとどうして言い切れるのでしょうか? 死者もすでに6人ですよ。
政権交代後、反政府デモ参加者が「あの警官は何月何日、どこそこ警察署の取調室で私をこんなふうに殴りました。その後私は病院へ搬送されました。医師の診断書はこれです。訴えたいです。」などと言い出したら、どうするつもりでしょうか? 今度は元治安部隊員が大量にロシアへ亡命するのでしょうか。
ちなみにこの取材に応じた人物は現政権はもって2年。その後裁きの時が来ると思っており、それで今退職することに決めたようです。
またこの人物は自分の親戚の女性が身柄拘束されたことがあり、治安部隊員の家族や親戚でも反政府デモに参加していたら拘束されることもありうると話しました。この親戚の女性は、罰金刑を言い渡されたのですが、持っていた携帯電話や財布のほか、指にはめていた婚約指輪も没収されたそうです。罰金の一部だそうです。政権転覆後、訴訟の嵐は起きないのでしょうか。
ミンスク市内で「(ボンダレンコさんの死を)忘れない」という落書きを書いた3人の男性が逮捕され今日裁判でした。有罪判決が出ましたが、男性のうち一人は「殺人を犯した人間は逮捕されず、裁判にもかけられない。」と述べました。
反政府デモ行進に参加していて身柄拘束された61歳の女性が、15日間拘留の判決を受け、昨日釈放されましたが、刑務所からそのまま病院へ搬送されました。理由はコロナウイルスに感染していたからです。
独立メディア系のジャーナリスト(20代の女性)が有罪判決を受けて15日間拘留されていましたが今日釈放されました。
さっそく同僚からのインタビューに「檻房のトイレは壊れていた。」「同じ檻房に拘留されていた人たちと、お互いの体にわいたシラミをお互い取ってあげた。」「家族や同僚が送ったという手紙は一通も届いていない。」「窓がちゃんと閉まっておらず、隙間風が吹き込んでいた。そのため扁桃腺炎になってしまった。」・・・などと答えました。
ボンダレンコさんが暴行を受けた変化広場に、再びDJのポートレートが描かれました。治安部隊が24時間体制で見張っていたのが解かれたようですね。しかしまたすぐに消されるでしょう。
そしてまた新しく描き直されるでしょう。