ネコリンヘンプ

安定剤(ソラナックス0.4㎎1~2T/dayを頓服で反復服用20年近く)断薬の記録つきヘンプブログ

クオンタムヒーリング

2011年04月02日 17時52分56秒 | 離脱症状
2011.4.2
災害メッセンジャー

クオンタム・ヒーリング
ディパック・チョプラ著 春秋社
何年か前から読み始めて繰り返し読んでいる本の一つ。
アメリカ在住のインド人の医師。
超越瞑想を啓蒙した人物。TM瞑想と呼ばれて日本でも各所に組織がある様子。ただ習うにはかなりのお金がかかる。私は瞑想にお金は要らないだろうと思うので、その辺がチョプラ氏の本来の思惑がどうなのかは定かではない。けれど、近著の「神は笑っている」を読むと案外私の思いと遠からずな感があって良かった。

抜粋
意識とは気がついていることにほかなりません。私達は手が熱いと気づくことができますがこれは受動的な気づきです。一方催眠の研究が示すように自力で手を熱くすることもできます。これは能動的な気づき、つまり注意です。何かに「気づく」と、受動的な気づきから能動的な気づきに移行します。注意を向けることは、人が通常思っているよりはるかに大きなコントロールを発揮します。それは、ふだん私達が受動的な意識の犠牲になっているからです。痛みのある人は痛みに気がついていますが、自分でそれを大きくしたり小さくしたり、起こさせたり止めたりできることには気がついていません。しかしこれはみな、事実なのです。
アーユルヴェーダでは、わずかな首の痛みから正真正銘の癌まで、あらゆる病気の症状が気づきのコントロール下にあるとされます。しかし、人と症状の間にはバリヤーがあります。マーヤーと呼ばれるヴェールで、これが気づきを治癒的に用いることを妨げているのです。心身相関医学はみな、ヒーリングを発現させるためにこの障害を取り除こうとしています。アーユルヴェーダ以外ではマーヤーという言葉は使われませんが、同じものを差すのであれば何と呼んでも構いません。私は「静寂の中のバリヤー」「記憶という亡霊」「物質という仮面」などという言葉を使ってきました。心身医学が正当性を証明しつつあり、科学のの感情を逆なでしないように用心しなければならない現在の情況にあっては、マーヤーを破る技術はどれもまだ初歩的なものです。幸いにして自然の仕組みは、どんな心身的手法でも効くようにできています。信じ方が十分であれば、命にかかわる病気を「笑い」で克服することも、一日コップ一杯のグレープジュースを飲むことで克服することもできるのです。
しかし意識の科学をもつことができたら、その方がずっと良いでしょう。アーユルヴェーダがそれを提供してくれます。その科学に確かな哲学的基礎を与える理論が持てたらこれも助けになるでしょう。ヴェーダの知識がそれを提供してくれます。アーユルヴェーダによるマハリシのヒーリング・テクニックを教えるとき、私は相手をヴェーダの世界や何か神秘的なことに引きずり込もうと言うのではなく、自分の意識が身体を作り,コントロールし,自分の意識が身体になるのだということに気がついてもらえるように努力しています。


この本はマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーという賢者から医学に役立つ超越瞑想を直に教わってTM瞑想として世に広め、そしてインドの伝統療法アーユルヴェーダの哲学も取り入れていこうという明確な意思の元に書かれていると思います。
20年以上経ってそれがもっと広範囲にいわゆる誰にでもという形に変わってきていると私個人は感じています。
ですので今のほうが自己コントロールの手法が個人的になり組織や誰かの手を借りなくてもできるという意味合いではポピュラーで親近感が持てる。その反面、技術の形ではなく個人の内面深く辿る道のりと言う意味ではかえって難しいと言うことになるのかもしれない。言っていることに何の変わりはないのだけれど、簡単にいうと”食事の支度をしていても瞑想はできる”ということですか・・。
治癒にいたる場面については次回更新で。