ネコリンヘンプ

安定剤(ソラナックス0.4㎎1~2T/dayを頓服で反復服用20年近く)断薬の記録つきヘンプブログ

表の体育 裏の体育

2011年07月05日 13時49分16秒 | 精神世界
浜のミサンガ
11日から販売開始!!

2011.7.5
急激な暑さに体温調節が出来ない。
小さな自室にクーラーをかけて閉じこもっている。
昼間から自室にクーラーは異例だし節電の折から流れには逆らうも命をつなげることで一杯か・・。
「表の体育 裏の体育」
という本を家の中で見つけた。一体誰が読んだのか、読まなかったのか・・。生業から本は家中に転がっている。

著者 甲野善紀
表の体育 裏の体育 とは珍しい題名の本だけれど著者の文章の中からその説明を書き出してみる。
「西洋科学思想による医学、栄養学をもとにした現在の学校体育などを”表の体育”として考えるとき、日本の伝統文化を核に個人が直感と体感によって打ち立てた民間の健康法、鍛錬方は”裏の体育”として取り上げることが出来る。」
抜粋
「”病は気から」の諺どおり、気持ちの持ち方、精神の高揚と低迷が体の働きに非常に影響を与えることは、現代西洋医学でももちろんかなり認識されており、偽薬によるプラシーボ効果やストレスの身体に対する影響などは、一般にも良く知られているところである。ただ、裏の体育である民間健康法と、表の体育、医学との大きな相違は、裏の体育では、この精神心理作用を最大限に生かして使おうとするのに対し、表のほうでは、こうした精神心理作用はあまり積極的に研究をしようとはしていないように見受けられるということである。もっとももそれは、すこし考えてみても当然であろう。経験と直感による効果第一主義の裏の体育、民間療法と、どれほど効果があっても、万人を納得させるに足る”科学的説明”がなければならないという手かせ、足かせをはめられた表の体育や医学では、精神の状況、気持ちの持ち方などという計量にかからないものを相手にしていては、正統(、、、、著者付箋)な表の学問としての研究が一向に進まなくなってしまうからである。
このような状況を考えてみれば、手かせ、足かせの無い裏の体育、健康法は、その分自由であるだけに、それぞれの健康法の創始者、提唱者の思想や好みの影響を著しく受けた、それぞれ特有の雰囲気を持つ個性的なものになってゆくのは当然の成り行きであろう。そのため、しばしばその主張は、表の学問から見るとキワモノ的であったり、珍妙であったり、こじつけとしか思えないものがあり、一般の社会人が「特に知識人と呼ばれている人にとってはいっそう」内心これら裏の体育、健康法に感心があっても、その世界に踏み込むにはなかなかためらいがあるようだ。」
読み砕くには非常に根気のいる本だと思う。
著書はこの後、裏の霊術の歴史に及び大本教までに話が進む。
そして自身の生きる世界、武術から核心の肥田春充の話に入ってゆく。肥田式強健術創始者、肥田春充は裏と表を結んだ唯一の人と解説される。
エピソードはほうほうほう~~と驚くようなものだが
肥田春充は言う
「なるべく絶対的心身の安静を守るのに努めること、いわゆる滋養物を避け、玄米のおかゆを軽く一杯と、新鮮な野菜少量、良く熟した清潔な果物、清純な生水。薬物をやめる。タッタそれだけのことの、厳正励行なのだ。だがしかし、その実行、その実行の継続は、容易ならんことなんだ。熱があっても解熱剤を用いない。食欲が無くても、健胃剤を飲まない。痛みがきても、麻酔薬をやらない。その上、やせ衰えているのに、牛乳も卵も、スープもやめてしまう。しかも死をもって、必ずそれを守り、倒れるとも、その方針を持って貫いててゆくの決心にいたっては涙無しに聞くことはできない。これが無知な迷信家のやることならば、別に怪しむにも足らないけれども、最高学府を出でて、しかも医学専攻の秀才なんだ。良く納得してくれたものだと、私はその見事なる勝利の成果を見て感涙を催さざるを得なかった。」
病床から半身を起こすことも出来なかった重病の医者が肥田の健康法に心を動かされ来てくれと頼み込み肥田の言うとおり実行して健康を取り戻すというエピソードを語る肥田の弁。自分の奥さんが瀕死の重病になった時も不安に駆られながらも自説を全うして奥さんは元気になった。
この健康法って森下クリニックとソックリ。
森下自然医学は整体でよく話しに上るところ。
あちこち繋がっている。
肥田は言う、
「だから折角、こんな簡単にして、安全な天寵による療法が、生物の一切に、与えられているのにもかかわらず、一般動植物以外のものは、この大恩寵に浴することが出来ず、万物の霊長と自称する人類が、かえってこの恵みのみ手からもれて、煩悶焦慮、小細工、又小細工、かえって身命を失うものが多いとはーーー、何たる皮肉なことであろうぞ」
要するに人間の身体には自然治癒力が備わっているのだからそれを最大限に生かす療法を使えばいい。元の生き方に戻ればいいと・・・。
これって向精神薬でおかしくなった脳の場合どうなのだろう。
もちろんいいことだろうけど、自然治癒力の司令塔の脳がいかれている離脱者の福音になるのだろうか。
スピリチュアルの世界では「ゆるゆると力を抜いて頑張らない」が主流だしなぁ・・・。

しかし私と同年のこの著者が著した世界の重厚なこと。
なんでだろう~~!!私のこの軽さ・・・。