2012.1.24火曜日
今週は金曜日から週明けまで毎日アルバイトが入っている。
私がアルバイトのことを記事にしているのは
この離脱症状の中で一体どれだけやれるものなのか、どんな状況になるのか
また、症状の回復に一役買うものなのかを
自分で観察してきたので
記録しておこうと思ってのことです。
で皆さんに読んでもらえたらうれしいです。
月5~6回位 小学校校庭で放課後クラブの監視員 2時間半~3時間半
月4~5回位 夜間救急外来の受付補助 夜7時~11時半
単発でたまに選挙の受付事務など。
普通の人ならけして多い仕事量ではないし拘束時間も短め。
年齢は62歳なので夜間は厳しいという人も多い。
去年の春に地元のシルバー人材センターに登録に行った。
友人に誘われてぐらつく頭で気乗りしないまま面接を受けた。
終始緊張感とこわばりで辛かったのを覚えている。
それから5月急遽放課後クラブの仕事に就くことに。
授業が終わった子供たちに校庭を開放するので、その身の安全を受け持つ仕事。
夏が過ぎるまで校庭の見回りは非常に厳しかった。
ゆらゆらする頭は校庭ではなおさら不安定で気持ちも悪くてこれでは続けられないのではないかと思った。
足を擦りむいた児童の手当てをしている時、急に頻脈発作が起きてその日は早退した。
家に帰っても治まらず数時間続いたため、眩暈まで起きて貧血のような状態に。
数日は体調が悪かった。
その頃はまだ歩くのが非常に辛くて、膝下半分くらいが自分のものでないような不愉快な感覚で苦痛だった。
暑くなってきて毎日ペットボトルを凍らせて握りながらの時間稼ぎ。
無理かな・・無理かな・・・と思いながらも毎回無事に終わった。
今日も救急車を呼ばずに無事終わったぁ~~・・・・が実感だった。
同僚との会話も我慢をしながら平常を装っていた。
そんな日々が3ヶ月続いて
断薬は1年と10ヶ月になっていた。
夏休みは仕事も休みで
明けて始まった仕事の時
ふぅ~と以前より楽に動いている自分を発見!
子供とバトミントンをやったのだ。
すごく嬉しかった!!
自然にやっていたので驚いた。
日常生活も以前より楽に感じる場面が増えていった。
ぶり返しもあるのだが気合を入れて仕事に行ってみた。
帰る頃には少しは元気になっている自分。
今年に入って単発のアルバイトの最中また頻脈発作とパニが・・。
で夜勤も始まった。
あ~~無理かもという場面はあるものの”倒れたりはしない”という自信もついた。
悟られないようにカバーしながらやっている。
病弱で人様のようには全く動けなかった私が今更こんな状況に身を置くとは驚き以外の言葉がない。
人それぞれで誰彼にも当てはまるとは断言できないが
身体を動かす
これは離脱症状の緩和に大きな貢献をすると思う。
無理の出来ない時期もあるので
慎重さは必要かもしれないが
私も凄く不安を感じながら
一歩を踏み出してみた
大した仕事量ではないが
私には大きなことだった
身体はまだガチガチだし不眠は回復が遅い
不整脈は止まったことがないし耳鳴りはきつく左耳は失調している
平衡失調はかるくなったもののまだある
からだのかゆみ 足先のしびれ 目の見え方のおかしさ
寝落ち時の不安
数えればこんなに残っている
でも私は今日を精一杯生きてみたい
生まれてきた奇跡を味わって生きていたい
落ち込んでも這い上がりたい
2年間の苦しみから今はほとんど解放されてと言いたいけど
まだ苦しい
無理・・・って感じる時
そのまま座り込まないで立ち上がって
動き始めて
何かをやる
そんな日々を繋げてここまできました。
必ず少しでも楽になる日は来ます。
80%の回復・・・そんな言葉に貸す耳はありません。
パーセンテージの世界に身を任せるのはストップしませんか?
今週は金曜日から週明けまで毎日アルバイトが入っている。
私がアルバイトのことを記事にしているのは
この離脱症状の中で一体どれだけやれるものなのか、どんな状況になるのか
また、症状の回復に一役買うものなのかを
自分で観察してきたので
記録しておこうと思ってのことです。
で皆さんに読んでもらえたらうれしいです。
月5~6回位 小学校校庭で放課後クラブの監視員 2時間半~3時間半
月4~5回位 夜間救急外来の受付補助 夜7時~11時半
単発でたまに選挙の受付事務など。
普通の人ならけして多い仕事量ではないし拘束時間も短め。
年齢は62歳なので夜間は厳しいという人も多い。
去年の春に地元のシルバー人材センターに登録に行った。
友人に誘われてぐらつく頭で気乗りしないまま面接を受けた。
終始緊張感とこわばりで辛かったのを覚えている。
それから5月急遽放課後クラブの仕事に就くことに。
授業が終わった子供たちに校庭を開放するので、その身の安全を受け持つ仕事。
夏が過ぎるまで校庭の見回りは非常に厳しかった。
ゆらゆらする頭は校庭ではなおさら不安定で気持ちも悪くてこれでは続けられないのではないかと思った。
足を擦りむいた児童の手当てをしている時、急に頻脈発作が起きてその日は早退した。
家に帰っても治まらず数時間続いたため、眩暈まで起きて貧血のような状態に。
数日は体調が悪かった。
その頃はまだ歩くのが非常に辛くて、膝下半分くらいが自分のものでないような不愉快な感覚で苦痛だった。
暑くなってきて毎日ペットボトルを凍らせて握りながらの時間稼ぎ。
無理かな・・無理かな・・・と思いながらも毎回無事に終わった。
今日も救急車を呼ばずに無事終わったぁ~~・・・・が実感だった。
同僚との会話も我慢をしながら平常を装っていた。
そんな日々が3ヶ月続いて
断薬は1年と10ヶ月になっていた。
夏休みは仕事も休みで
明けて始まった仕事の時
ふぅ~と以前より楽に動いている自分を発見!
子供とバトミントンをやったのだ。
すごく嬉しかった!!
自然にやっていたので驚いた。
日常生活も以前より楽に感じる場面が増えていった。
ぶり返しもあるのだが気合を入れて仕事に行ってみた。
帰る頃には少しは元気になっている自分。
今年に入って単発のアルバイトの最中また頻脈発作とパニが・・。
で夜勤も始まった。
あ~~無理かもという場面はあるものの”倒れたりはしない”という自信もついた。
悟られないようにカバーしながらやっている。
病弱で人様のようには全く動けなかった私が今更こんな状況に身を置くとは驚き以外の言葉がない。
人それぞれで誰彼にも当てはまるとは断言できないが
身体を動かす
これは離脱症状の緩和に大きな貢献をすると思う。
無理の出来ない時期もあるので
慎重さは必要かもしれないが
私も凄く不安を感じながら
一歩を踏み出してみた
大した仕事量ではないが
私には大きなことだった
身体はまだガチガチだし不眠は回復が遅い
不整脈は止まったことがないし耳鳴りはきつく左耳は失調している
平衡失調はかるくなったもののまだある
からだのかゆみ 足先のしびれ 目の見え方のおかしさ
寝落ち時の不安
数えればこんなに残っている
でも私は今日を精一杯生きてみたい
生まれてきた奇跡を味わって生きていたい
落ち込んでも這い上がりたい
2年間の苦しみから今はほとんど解放されてと言いたいけど
まだ苦しい
無理・・・って感じる時
そのまま座り込まないで立ち上がって
動き始めて
何かをやる
そんな日々を繋げてここまできました。
必ず少しでも楽になる日は来ます。
80%の回復・・・そんな言葉に貸す耳はありません。
パーセンテージの世界に身を任せるのはストップしませんか?