被災地支援 -できることをやろう- から -ひとつなぎ- へ   NPO法人ねおす

『三陸ひとつなぎ自然学校』の釜石市を中心とした活動を応援しています。

お知らせ

★【2015年12月23日エルプラザ】「5年目の今、未来への挑戦」の報告会があります

COOK LUCK LAST JOB

2011年04月08日 | 地域社会起業育成支援

Cook Luck 隊のラストの仕事は、上栗林避難所の皆さんへ、生姜焼き丼でした。
後半は、当地を拠点して、山田町や大槌へ出張サービスを展開しました。

 外で一緒に食べていた青年と話をすると・・・

鵜住居の自動車工場で板金を中心に仕事をしていたとのこと。私も工場があった場所がわかりますが、跡かたもありません。従業員も3人行方不明のままです。再建のめどなど立っていません・・・。

「ほんとだったら、内陸の方へ行って仕事探すけどさ・・、仲間が分かるまではここにいなければ」

家を失くした若い人、家族持ちでさらに仕事を失くした人は、他の地域に移動してゆくことが始まっています。 阪神大震災のような都会の被災ではありません。長い三陸の沿岸過疎地域の被災なのです。人口の過疎化が急激に進む可能性が高いです。

私達にできること・・支援のカタチも少しずつ変えてゆく段階にも入ってきたかなと思います。


青年が言いました。

「うちら嬉しいよ。元気もらえっから。 炊き出ししている人たいへんだろうけれど、
大変そうに見えないよね。楽しんでやっているよね。見ているだけでも嬉しいよ」

そう言って頂ける青年のいます。そう言ってもらえると、私達もとても嬉しいです。

一方では、

すぐ目の前の未来をどのようにしていったらいいか、わからない・・・、途方にくれて遠くを見つめるうつろな目の人もいます・・・。

高木

学校説明会

2011年04月08日 | 地域社会起業育成支援
被災にあった鵜住居小学校の始業式と入学式について教育委員会から説明会が、釜石市街の甲子小にて開催されました。

鵜住居小学校は一学年二学級ですから400人以上の子ども達が通う大きな学校です。鵜住居川の河口の堤防の外側にあり、2階建の校舎全体が波をかぶり、濁流にさらされました。隣に立つ中学校も同様です。 辺りは様々な粉々になったモノが散乱していますが、上流に流されてしまったのでしょうか、意外と平坦です。戦場で大空襲に会い、火災が起きた跡のようで、鉄筋校舎の建屋だけが残っています。その前を通ると地域外の私ですら、胸が締め付けられ、言葉がでません・・。通学児童の家庭の大多数は被災しています。

8日、釜石市街の甲子(かし)小学校の体育館で児童、保護者が集まり、今後の学校再開についての説明会がありました。 

始業式は4月26日、入学式は27日。市街地の2つの小学校の空き教室を利用して再開されることになりました。子ども達は、市内のあちらこちらの避難先に点在しています。その子達全てを、スクールバスでピックアップして通学させるという大計画です。

将来的には鵜住居川の上流・・今回の津波の末端が到達したちょっと上流の農村地域に仮設校舎が建設される予定(県が国から決定をもらった段階)とのことでした。 保護者にはアンケートが配られました。

現在の連絡先、子ども達の様子、学用品の有無など・・そして、次の選択が求められました。

①再開学校に通い、仮設学校ができたら移る。
②再開学校に通うが、間借りする小学校へ転校する。
③他の地域へ転校する。
④その他

仕事を失くした親御さんも数多いでしょうし、親を亡くした子どももいるでしょう。再開への道のりがスタートしたとはいえ、このアンケート結果を集計したうえで、次の具体的な方策づくりとなるのでしょう。

保護者からの質問は、説明が聞き取りにくかったことが2,3点だされただけでしたが、学童保育の質問がでました。間借りする学校の近くの児童館が地震のためヒビが入っているので使用できない。まずは学校再開からということでした。
これだけ 点在している子ども達ですから、授業が終われば、即スクールバスで帰宅となる可能性が高いように思えます。