双極性障害でもよく「病人自身が主体的に治療に関わることが大事」といわれる。
それはその通りだと思う。
しかし一方で調子の悪いときとか「主体性ってなんだろう?」とも思ってしまう。
精神障がいの場合、病状が悪く「自傷他害のおそれ」がある場合には、家族同意や警察等を含む強制の措置入院(患者の主体的意思表明では退院できない)になる。
患者本人は主体的に治療に関わっていても、何らかのストレスがかかったり双極の波の中で病状が悪化すれば、「強制入院」ってなことも起こる。脳の病気であるので「理性」や「人格」を元にする「主体性」と「病状」はどうしてもクロスオーバーしてしまう状況がある。
自分自身で判断不能な病態もある精神障がい者の「主体的治療態度」はなんとも複雑で難しいと思う。
追記:よく考えると上述の問題は社会学者・立岩真也氏の「弱くある自由へ」や 「私的所有論」の問題意識に近いかもしれない。健康な人から見た「自己決定」とか「主体性」は「強くある」ことがごく当たり前に前提されている。悪い言い方をすれば「弱い状態から強くなる」ことが期待される。何もボクは治療に後ろ向きでいいといいたいわけでもない。興味のある人はネットで岩立氏のインタビューやレビューを見てください(フーコーやイリイチも近いかな?脱構造?)。