新聞で報道されているように、村上春樹がカタルーニャ国際賞(一応スペイン)での受賞スピーチでまたやらかした(ネットでも毎日新聞等で全文が読める)。
要約すると「地震は自然災害だが日本人はこの地震と共に長い歴史を生きてきたし今回も必ず立ち上がることについて自分は不安を持っていない。一方、原発のメルトダウンは人災と言える。被爆国である日本が原発政策を展開したことは「被爆者」への「加害行為」であり、我々日本人は原子力について被害者であり、加害者である。「非効率」と言われようが「非現実的な夢想」と呼ばれようが、被爆国である日本は脱原発を目指すべきだ」という感じだろうか。
昨日、ほんとうは「村上春樹と大江健三郎」という題名でこの文章を書きかけていた。
所謂、村上のたぶん学園紛争に端を発していたであろう「デタッチメント」と、阪神淡路大震災・オウム事件や自発的に死刑を望んだゲイリー・ギルモア家族史「心臓を貫かれて」翻訳などを通して、作品が「コミットメント」に移行していったように思う。
大江健三郎は国体的戦時中に疑問を持ちつつ四国で幼少期を過ごした。「敗戦日記」を書いたユマニスト渡辺一夫とサルトルに惹かれその後文壇デビューする。しかしヒロシマ・ノートでの取材経験や脳障害を負って生まれてきた息子・光さんとの共生によって変化していった。大江でいえば無神論的実存から「信なき者の祈り」という変化である(細かい解説は別のサイトを検索してください)。
もちろん二者は狭い意味で別の立場にあるが、大きな流れとして個から関係へ、その後は関係から個へという往復を持つ。
ただ村上の今回の講演はネットで原文を確認したときに、てっきりエルサレム賞のときと同じように、英語スピーチであると思い込んでいた。
今朝、TBSで映像が流れていて驚いたのは、村上春樹が日本語でスピーチしていたことだ。
以前、エルサレム賞「壁と卵」のときに、「もともと人前にでるのが少ない村上だが、母国語でない英語だと距離が持てて話しやすいのだろう」との趣旨の記事を読んだことがある。
村上春樹は英語翻訳家であるし、ギリシアに住んでいたのだからラテン語系だって達者かもしれない(カタルーニャ語はむりか)。
つまり村上春樹はあえてカタルーニャでの受賞スピーチに「日本語」を選んだのだ。その意味と覚悟は彼にとっても日本人にとっても大きいとボクは思う。
追記:よく村上春樹がメディア嫌いといわれる。けれど彼が「ノルウェイの森」でたぶん本人の意に反して大ブレイクしてしまう以前はそんなにメディア嫌いではなかった。NHK教育に村上龍と一緒に対談もしていたし(確か坂本龍一・村上龍の企画じゃなかろうか)、いまは編集方針の変わった宝島社の英語上達の為のブックレット中、エッセイ風に一部執筆もしている。インターネットがメディアだとすれば、彼ほど読者(ファン)と直接対話した作家はいないだろう。まあ、村上が日本語を喋っているのを見たのは村上龍との対談以来だが。