「癩者(らいしゃ)に」1943年・夏
光りうしないたる 眼(まなこ)うつろに
肢(あし)うしないたる 体担われて
診察台にどさりと載せられたる癩者よ、
私はあなたの前に首(こうべ)を垂れる。
あなたは黙っている。
かすかに微笑(ほほえ)んでさえいる。
ああしかし、その沈黙は、微笑みは
長い戦いの後にかち得られたるものだ。
運命とすれすれに生きているあなたよ、
のがれようとて放さぬその鉄の手に
朝も昼も夜もつかまえられて、
十年、二十年と生きて来たあなたよ。
何故私たちでなくてあなたが?
あなたは代って下さったのだ、
代って人としてあらゆるものを奪われ、
地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。
許して下さい、癩者よ。
浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、
そこはかとなく神だの霊魂だのと
きこえよき言葉あやつる私たちを。
かく心に叫びて首(こうべ)たるれば、
あなたはただ黙っている。
そして傷ましくも歪められたる顔に、
かすかなる微笑みさえ浮かべている。
神谷美恵子 著作集 「遍歴」/「うつわの歌」 みすず書房
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この詩は神谷美恵子さんが医者になる前に書いた詩だそうだ。
よく分からんが、今日何となくこの詩を思い出した。
神谷美恵子さんにはハンセン病(らい病)に生涯を捧げた精神科医である。
彼女には批判もあるようだが(というより過去のハンセン病隔離政策への批判だが)、常人にはないある種の感性・想像力はこの詩からも否めないと思う。
そしてたぶんすべての慢性的な病気や障害、あるいは災害を被った人たち、人生にいろんな重荷をもった人たちに、この詩は該当するのではないかと思う。もちろんハンセン病やそのほかの方々に比べればたとえばボクの双極性障害などたいしたことはないのかもしれない。
ついでに言えばこの「なぜ」に対して精神科医として立ち向かったのがホロコーストを生き延びた「夜と霧」のV.E.フランクルのロゴセラピーであろう。当然、神谷美恵子さんもこの詩を書いた後であると思うが、フランクルの著作を読んでいるに違いない。