今日はなんとなく十牛図を思い出してネットで見ていた。
十牛絵図は禅の悟りを絵にしたもので、たしか中国で最初は書かれたとかいう話だったと思う。
大学の教職のときに、倫理かなにかの授業が仏教系の倫理学の先生だった。そこで見せられたのが十牛絵図であった。
最初は少年?が失った牛を探す場面から始まり、牛と格闘し、仲良くなって家に連れ帰り、すると牛も自分もいなくなってしまう「無」、という物語の進行である。この後に牛も少年もいない場面が挿入されており、最後に悟りを開いたような老師と童子の二人の場面で終わる。
たぶん牛は少年の自我を象徴しており、その飼い慣らし方が悟りの進行として描かれているのだろう。
なんだか、各種依存症や心の病・精神病で言われる「底付き体験」という現象を連想してしまった。
もし「底付き体験」が禅の「無我の境地」と似ているならば、心の病は一種の修行のようなものであるのだろうか?
大学のときの先生に聞いておけばよかった。