昨日、睡眠が酷くて、散歩をどうしようかと迷った。
休んでもいいかなと思ったり、行った方が夜の睡眠のためにはいいかなとか。
結局、遅めではあったが散歩に行った。
日が沈むのが早くなったなぁ。
昨日、睡眠が酷くて、散歩をどうしようかと迷った。
休んでもいいかなと思ったり、行った方が夜の睡眠のためにはいいかなとか。
結局、遅めではあったが散歩に行った。
日が沈むのが早くなったなぁ。
昨日、用事があって街に出かけた。
大切なものを忘れて一度戻ったのだが、なんとかかんとか乗り切れた。
だいぶ耐久力みたいなものがよくなっている気がする。
ただ、ありがちなことだが、昨日の晩はうまく寝ることができなかった。起きているのか、夢を見ているのかのどっちかだったと思う。
やっぱり負担はあったのだなと思う。これに少しずつなれていければと思う。
カズオ・イシグロの「わたしを離さないで~Never Let Me Go」を読み終えた。
最初読みはじめたときに、ちょっとサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を思い出した。
子供の想像した夢物語をリアルに進めていくカズオ・イシグロの緻密な表現力はすごいと思った。
そしてこれは単なるミステリーでもSFでもないのだなとも思う。この小説に出てくる登場人物はある種のメタファーなのだ。
以前書いたことだが、「夜と霧」のフランクルがいうように「我々が人生を問うのではなく、人生に問われている」のだ。
奇妙な設定かもしれないが、彼ら登場人物は最終的には自分の人生を引き受けた人たちなのだと思う。
8月頃から感じ始めているのだが、たぶん双極性障害の主幹薬、気分調整薬がちゃんと効いている感じがするのだ。
未だうつの傾向はあるものの、なんといったらいいのか、感情の芯の奥の方がほんとうに何年かぶりに落ち着いている。
最初、この感覚を感じ始めた頃は「まだまだ、信用できない」と思っていたが、9月ももう後半である。表面の波はあるものの震源というか、海の底というかそこの大きな波が確実に落ち着いている。
いまの主治医になって、抗うつ剤で躁転をして双極性2型障害が確定となった。そのときに、「この病気は脳の病」といわれ、「だが薬でコントロールできる」と言われた。
いままでうつ病でそうとう一生懸命薬物療法もしてきたから、信頼しつつも「ホントに効くのかな?」「抗うつ剤程度だろうな」と心の底で思っていた。
今から思うとと、いままでのうつ症状の底にも双極性障害の症状、感情の波?がずっと続いていたのだと思う。機嫌が悪くなったり、怒ったりしていたときにも、やっぱり心の海の底がずっと大波が揺れていたのだと思う。
「ああ、落ち着いた気持ちというのはこういうものだったのだな」と改めて思う。
うまく表現できないのだが、気分調整薬は心の海の底の波の揺れを小さくしてくれるのだと思う。だから結果的に表面に現れてくる躁やうつの波も、あるいは感情の波も無くなりはしないが、それに自分が引き回されるほどの波にはならない。
いまの感情調整薬を飲み始めて半年。薬って効くんだな。精神科の薬でも効くんだぁ。
もちろん、主治医との関係も環境要素だから、薬の効き方に影響する。そこが良好だってことも大きな要因だろう。