昨日は何かうまく入眠できなかった。
なんとなしに、ときどき目が覚めているような感じだった。
睡眠薬は上から二番目くらいの強い薬を使っている。たぶんあと一手を打ったら、もう眠剤は投了だ。
まあ、深刻に考えるのはやめよう。
必ずしも寝られないわけではないので、そのときが来たら、そのときで考えればいい。
昨日は何かうまく入眠できなかった。
なんとなしに、ときどき目が覚めているような感じだった。
睡眠薬は上から二番目くらいの強い薬を使っている。たぶんあと一手を打ったら、もう眠剤は投了だ。
まあ、深刻に考えるのはやめよう。
必ずしも寝られないわけではないので、そのときが来たら、そのときで考えればいい。
台風以来、二日ぶりに散歩に出かけた。
ちょっと半袖では寒かった。もう秋なのね・・・。
というより、やっと秋なのね。
服を春秋モノに換えなければ・・・。
関係ないが、兄貴に勧められて日系イギリス人作家、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで(Never Let Me Go)」を手に入れた。
「お前ならわかるだろう」的なことがメールに書いてあった。たぶん、運命に翻弄されたりトラウマ関係があったりするのだろう。
勧めておいたくせに「調子の良いときに読め。調子の悪いときには読むな。重い。」そうである。
カズオ・イシグロの噂は前から聞き及んでいたから、よい深い作家なのだろう。思っていたよりも文庫本は厚い。
さてはて、読むべきか読まざるべきか、まあ、読む気になったら読もう。
いままで一番重かった本はM.ギルモア(村上春樹訳)「心臓を貫かれて」だ。悲しいかな、この本は小説ではなく実話をもとにしている家族史だ。「不幸しか選び取れない育ち方」というものを本当に考えさせられる。
以前、フォーカシングという心理療法をかじったことがあった。
自分の中の言葉にならない感情や身体の普段気にしない感覚を、自分の中からイメージとして取り出すというのがたぶん基本だったと思う。
自分の中で言葉にならない傷みだったり、混乱だったりを感性的に取り出していったときに、それが別の意味をもって変化していく。
言葉にならないものへの「気づき」に近いものなのだが、いわゆる「内省」とは少し異なった立場であると思う。
自分の傷みは避けたり捨てたりしたいものであり、普段無意識に無視している。あたかもそれらの複雑な感情を愛でるように心から取り出していくというのがフォーカシングなのかもしれない。
そんなことが自分にも必要な気持ちがしている。
人間、主張したり要求したりすることは多くても、聴くことや愛でることには十分な時間を取らない。
沈黙して聴く、あるいは愛でる、ということは人間にとって大切なことだと思う。
今日は朝ボケボケしていたので天気予報を見るのを忘れていた。
夕方散歩に行こうと思ったら雨が降り出した。
上海問屋で頼んでいたPC周辺機器が到着したが、思ったように動かず・・・。
まぁ、まったく無駄になるわけではないので、よしとしよう。
楽天ポイント使って買っているし。
昨晩は台風のわりにはうまく入眠できた。
今日は必要に迫られて起床した。
中くらいではあるが、睡眠対策の抗精神薬が抜けていないので、フラフラする。
関係ないがスパムコメントがあった。ロボットスパムにしても、いったい何を基準に書き込んでいるのだろう。
手動なら本当にどうしてここに書き込むのかが不可解だ。