「エルトゥールル号」を題材にした映画製作の検討が始まったとニュースで聞きました。
ご存知の方も多いと存じますが、120年前にオスマン帝国の軍艦「エルトゥールル号」が串本沖で遭難した事件です。
乗組員534人が亡くなりましたが、69名が地元の人達の救助と献身的な介抱によって助かりました。
当時の悲劇として、また現在は日本とトルコの友好関係の起点として広く知られているところです。
また、1985年のイラン・イラク戦争におけるフセインの無差別攻撃宣言に対し、イラン国内に取り残された日本人が、トルコ航空機によって215名全員が無事にトルコ経由で帰国できた事も「親日国トルコ」を語る上でのエピソードです。
昨年、トルコ共和国を訪問した際に、メルシン市にあるエルトゥールル号遭難記念碑に参拝してきました。
メルシン県知事、メルシン市長をはじめ、日土友好協会、また多くの幼稚園児の歓迎の中、海軍によるトルコ国歌、日本国歌演奏の後、献花をし、遭難の皆様に祈りをささげてまいりましたが、その時目頭が熱くなったことは今でも忘れられません。
なんでも監督と串本町の田嶋町長は大学の同級生だったとか。
是非とも映画化していただきたいと思います。
ご存知の方も多いと存じますが、120年前にオスマン帝国の軍艦「エルトゥールル号」が串本沖で遭難した事件です。
乗組員534人が亡くなりましたが、69名が地元の人達の救助と献身的な介抱によって助かりました。
当時の悲劇として、また現在は日本とトルコの友好関係の起点として広く知られているところです。
また、1985年のイラン・イラク戦争におけるフセインの無差別攻撃宣言に対し、イラン国内に取り残された日本人が、トルコ航空機によって215名全員が無事にトルコ経由で帰国できた事も「親日国トルコ」を語る上でのエピソードです。
昨年、トルコ共和国を訪問した際に、メルシン市にあるエルトゥールル号遭難記念碑に参拝してきました。
メルシン県知事、メルシン市長をはじめ、日土友好協会、また多くの幼稚園児の歓迎の中、海軍によるトルコ国歌、日本国歌演奏の後、献花をし、遭難の皆様に祈りをささげてまいりましたが、その時目頭が熱くなったことは今でも忘れられません。
なんでも監督と串本町の田嶋町長は大学の同級生だったとか。
是非とも映画化していただきたいと思います。