お盆休みに入るや 台風4号の余波もあって真夏日も一休みといったところです。
今日のお話は 無雲さんからの宿題である「一年はいつから365日に?」です。
西暦やら 旧暦(太陰太陽暦)やら 和暦やら色々あるため 何度かに分けてご紹介します。
一般的な定気法にあっては、太陽黄経が135度のときで 2010年 8月7日14:49が立秋に当たるのですが、恒気法にあっては、冬至から228日目を用いるためか または別の理由によるものか今年は中国では 立秋は8月8日とわが国と一日異なります。
夏至と秋分の中間に当たり、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、立秋から立冬の前日までが秋となります。暦の上ではこの日が暑さの頂点となる翌日からの暑さを「残暑」といい、手紙や文書等の時候の挨拶などで用いられます。また、翌日から暑中見舞いではなく残暑見舞いを出すことになるわけです。
いつの頃からか 日が昇り日が沈み また日が昇るまでを 人類は 一日と定めました。
そして 30日間の月の満ち欠け(運行)をみて 一(ひと)月 を定めました。
新月から新月までの1朔望月はおよそ29.53α日であることも遥か2千年前には把握されていました。
やがて 夜空の 星の位置が日ごとに変わっていって 季節が移ろい 1年後に戻るということに気づいた頃から1年がおよそ365日になりました。
しかし 1太陽年はおよそ365.246α日であり ぴたり365日でないということも解ってきました。
ともあれ太陽が一日の源、月の満ち欠けが一(ひと)月の源、星座の動きや太陽の動きが一年の考え方の源です。
とはいえ 1年が365日それに閏年を加える概念が登場するにはローマ暦に遡る必要があります。
古代ローマでは、紀元前8世紀から採用されたローマ暦でした。
ローマ暦は、狭義には、古代ギリシアの太陰暦を元にしてつくられた暦法を言います。
初期のローマ暦は農耕に合わせて1月と2月が存在せず、3月から始まっていたのです。
(理解できますか? ここはちょっと信じられないところですが)
◆304日と空白の61日
紀元前753年(紀元前745年説もあり)、最初のローマ暦が古代ローマで採用されました。この暦法は、ローマを建国したとされる王ロムルスの名をとり、ロムルス暦と呼ばれています。
3月から始まり12月で終わっていました。このため1年の長さは304日で、12月30日と3月1日の間に、日付のない日が約61日間続いたのです。(理解できました?)
農耕暦だったので、畑仕事のない季節に日付は必要なかったとされますが。
当時のローマ人は1年の長さが約365日であることを知らなかったため、日付のない日は厳密に61日間ではなく、春めいてきた日に王が新年を宣言するという形をとったと考えられています。
◆355日と27-28日の閏月
紀元前713年、ローマ国王ヌマ・ポンピウスによって改暦が行われ、Jānuārius(ヤーヌアーリウス、29日間)、Februārius(フェブルアーリウス、28日間)がつけ加えられました。このときヌマは、日数が30日だった月の日数をすべて29日に変えました。 この暴挙のせいで平年の1年の長さは355日になってしまいます。
2年に1度、2月の日数を23日に減じ、2月23日の翌日に Mercedinus(メルケディヌス)という名の27日間または28日間の閏月を挿入しました。
この時期はまだ年始は3月1日でした。この暦法は、布告した王の名をとりヌマ暦と呼ばれます。ほとんどの月の日数を29日と31日にしたのと、1年の長さを(月の運行に合わせた)354日にしなかったのは、ヌマの信仰が偶数を嫌ったからだとされています。
◆365日と4年に一度の閏年
現在の「西暦」の原型となる暦を最初に作ったのは、ユリウスです。
ユリウスって「ブルータス、お前もか」のあのシーザーです。
ユリウス暦は紀元前45年1月1日より実施されたものです。
ユリウスは、平年は1年を365日とし、4年ごとに閏年をおいて366日として平均年を365.25日としました。
これにて、これまでの問題点の大半は解決したかに見えたのですが....... この続きは 次回に。
今日もお立ち寄りいただいて有難うございます。
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他にもブログを投稿しています。
◆丼季報亭の「8万時間の休息」(2008年3月投稿開始)は
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◆4Travel.「Donkyさんの旅のブログ」(2013年6月投稿開始)は
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注)ブログ記事のうち暦の詳細についてはウィキペディアなどから抜粋したものです。