丼季報亭「8万時間の休息」

旅の記録や季節の便りそれに日々の思いを軽いトーンで綴ってみました。

391.コペルニクスのどこが偉大か

2010-08-16 23:58:25 | 閑話


 16日も、勢力の強い太平洋高気圧に覆われ、日本列島は厳しい暑さ。 群馬県の館林市と伊勢崎市で全国最高の38.2度となったとか。 どちら様も日射病と熱中症にはご注意ください。

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 暦のお話 その2です。

 ユリウス暦では4年に一度の閏年を採用したものの新たな問題が生じました。

 ◆365日と4年に一度の閏年

 紀元前45年1月1日より実施されたユリウス暦では、平年は1年を365日とし、4年ごとに閏年をおいて366日として、平均年を365.25日としていました。しかし、実際の平均回帰年(太陽年)は約365.2422日であるため、ユリウス暦の方式では1000年ごとに約8日の誤差が生じていました。

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 1年の長さが、当時使用されていたユリウス暦の1年よりわずかに短かったのです。 15世紀になると、暦の上の季節と実際の季節に約10日のずれが生じていました。この問題はロジャー・ベーコンによって提起されていたのですが、1年の正確な長さが分からず約300年間放置されていたのです。


 当時使われていた(そして、メソポタミア時代から現代に至るまでも根本的には変わらない)1年(回帰年)の定義は、分点または至点から次の同じ分点または至点までの時間でした。


*分点(ぶんてん、equinox)とは、天球上で天の赤道と黄道とが交わる点、および、太陽がこの点を通過する瞬間のことである。分点は2つあり、春と秋にそれぞれ通過する。
*至点(してん、solstice)とは1年に2回、天球上において太陽の赤道面からの距離が最大となる瞬間、またはその時の太陽の位置を指す語である。


 しかし、16世紀当時に信じられていたプトレマイオスの体系では、1年という値は他の天文学的な値からは孤立した独立の量で、太陽の位置を数十年から数百年以上かけて測定する以外に、1年の値を決定する方法がなかったのだそうです。

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 クーンによれば、この観測には大変な困難が伴い、改暦問題は16世紀以前の天文学者たちを常に悩ませることになったのです。

 やがて16世紀前半あの地動説を唱えたコペルニクスが登場します。

 カトリック教会の司祭であったコペルニクス(1473-1543)は、この誤差に着目しました。彼は地動説を新プラトン主義の太陽信仰として捉えていたと言われ、そのような宗教的理由から、彼にとって正確でない1年の長さが使われ続けることは重大な問題でした。

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 コペルニクスはアリスタルコス(紀元前310年 - 紀元前230年頃の古代ギリシャ天文学者。世界で最初に太陽中心説を唱えた)の研究を知っており、太陽を中心に置き、地球がその周りを1年かけて公転するものとして、1恒星年を365.25671日、1回帰年を365.2425日と算出しました。

 1年の値が2種類あるのは、1年の基準を太陽の位置にとるか、他の恒星の位置にとるかの違いによります。

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 コペルニクスは没年にあたる1543年、思索をまとめた著書『天体の回転について』を刊行しました。そこでは地動説の測定方法や計算方法をすべて記しました。こうして誰でも同じ方法で1年の長さや、各惑星の公転半径を測定しなおせるようにしたのです。このことが、コペルニクスが(科学的な意味での)地動説の創始者とされる理由です。

 またこの業績について、ガリレオ・ガリレイから「太陽中心説を復活させた」と評されました。

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 ◆新暦・グレゴリオ暦の誕生 


 前置きが長くなりましたが、1582年 やっと俗に言う新暦が出現しました。


現行の太陽暦として世界各国で用いられているグレゴリオ暦とは、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦です。

  単に新暦(英語:New Style、略称:N.S. NS)と呼ばれる場合もあります。

 ただしグレゴリオ暦が作成された時、改暦の理論にはコペルニクスの地動説は利用されませんでした。


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 グレゴリオ暦では、平年は1年を365日とし、4年ごとに閏年をおいて366日とするところまではユリウス暦と変わりません。

 ただし、西暦紀元の年数が100で割り切れてかつ400では割り切れない年はグレゴリオ暦では閏年としないとのルールを設けて平均年を365.2425日とし、3000年に約1日の誤差の範囲に収めたのです。

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 明治政府が 明治5年12月3日をもって新暦(グレゴリオ暦)の明治6年1月1日とすることを宣言するのは1872年ですから わが国と新暦との出会いはそれから290年後のことでした。


 次回は和暦について ご紹介します。

今日もお立ち寄りいただいて有難うございました。

 お時間のあるときにまたお立ち寄りいただければとても嬉しいです。


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注)ブログ記事のうちコペルニクスとグレゴリオ暦についてはWikipedia から抜粋したものです。


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