旅の2番目の訪問地は 米沢・松が岬公園である。 謙信公を祀る上杉神社と、上杉家ゆかりの宝物を収蔵した稽照殿や上杉博物館がある。桜が咲き誇る時期は上杉まつり、冬は雪灯篭まつりが開催され、市民の憩いの場となっているそうである。毘沙門天の生まれ変わりを自認し、戦国の世に神がかり的な英雄の一人として名高い上杉謙信ゆかりの地「松が岬公園」では 3人の歴史上の人物に関心を持った。
一人目は「生せば生る成さねば生らぬ…」で有名な上杉鷹山公。 そして2009年NHK大河ドラマの主人公 直江兼続。 最後は米沢市の藩校で外国語を教えていたチャールズ・ヘンリー・ダラスという英国人である。
1. 上杉 鷹山/上杉 治憲(うえすぎ ようざん/うえすぎ はるのり)は江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩の第9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。
上杉家は18世紀中頃には借財が20万両に累積する一方、石高が15万石に減封されても会津120万石時代の家臣団6,000人を召し放つことをほぼせず、人口に占める家臣の割合が高かったため、人件費だけでも藩財政に深刻な負担を与えていた。
日向高鍋藩主の次男として生まれ、九州から養子で 新藩主に就任した治憲は、民政家で産業に明るい竹俣当綱や財政に明るい莅戸善政を重用し、先代任命の家老らと対立しながらも、自ら倹約を行って土を耕し、帰農を奨励し、作物を育てるなどの民政事業を行った。
天明年間には凶作や浅間山噴火などから発展した天明の大飢饉の最中で、東北地方を中心に餓死者が多発していたが、治憲は非常食の普及や藩士・農民へ倹約の奨励など対策に努めた。この結果米沢藩のみが一人の餓死者も出さなかった事実はあまりに有名である。
「生せば生る 成さねば生らぬ 何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり」の歌は「伝国の辞」と共に次期藩主に伝えられた。 伝国の辞(でんこくのじ)とは、鷹山が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した3条からなる藩主としての心得で次の通りである。
一、国家は先祖より子孫へ伝候国家にして我私すべき物にはこれ無く候 一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候 一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候 右三条御遺念有るまじく候事
伝国の辞は、上杉家の明治の版籍奉還に至るまで、代々の家督相続時に相続者に家訓として伝承された。
平成19年(2007年)に讀賣新聞が日本の自治体首長に対して行ったアンケートでも理想のリーダーとして上杉鷹山が1位に挙げられている。また、アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディや第42代ビル・クリントンが、日本人の政治家の中で一番尊敬している人物として上杉鷹山を挙げている。
米沢藩中興の祖である鷹山は現在の米沢市民にも尊敬されている。その例として、他の歴代藩主は敬称なしで呼ばれることがあっても、上杉鷹山だけは必ず「鷹山公」と「公」という敬称を付けて呼ぶといわれ、旅行者や他地域からの移住者などが話の中で「鷹山」と敬称なしで呼ぶと、特に年配の米沢市民から猛烈に抗議を受け、「鷹山公」と言い直させられることもしばしばあるとされる。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2. 直江兼続(なおえ・かねつぐ) 少年時代、上杉謙信から「天下を取ることなどは小事に過ぎず、それよりも“義”を貫いて生きることの方が「大事」と諭された。 兼続は、謙信の死後、越後の命運を握ることになった上杉景勝を支えながら、「義」を貫く生き方を志していく。
信長が天下統一を進める中、若き兼続は「愛」の兜を掲げ、越後の民を守る戦に挑んでいく。そして信長の死後、秀吉からその才気と人間性を惚れ込まれ、家来に誘われるが「主君は景勝様ただ一人」と秀吉を袖に振り、その結果、上杉家の家老でありながら米沢30万石の領地を与えられる。詳しくは来年のNHK大河ドラマを お楽しみに。
3. チャールズ・ヘンリー・ダラス 明治4年、米沢市の藩校・米沢興譲館高校(上杉鷹山公開設)で外国語を教えていたチャールズ・ヘンリー・ダラスという英国人が、米沢の牛を食べたところそのおいしさに驚き、任期を終え横浜に帰るときに米沢牛を持ち込みました。
横浜で食した一同はその美味に感激し、そのとき以来「米沢牛」というものが世に広まる事となったとのこと。以来100有余年の歴史を誇るブランド牛として全国にその名をとどろかせだけでなく 日本人の食材の歴史に大きな変化を与えた。
そういえば 2005年の暮れのこと 東北新幹線仙台駅停車1分の時間内に添乗員もはらはらする中を 牛タン弁当を買いに仙台駅ホームにとび降りたことがある。
その時は残念ながら先客あり 時間が30秒不足で牛タン弁当買えず 夕食は車内販売の米沢牛肉弁当となった。 お目当て牛タン弁当でなかったのだが さすが歴史ある米沢牛 このお弁当の味は絶品でした。
旅に出ると色々な歴史に触れる。歴史は自らの人生を振り返る機会も与えてくれる。自らに何が不足していたかを 思い知らされることもある。
そのほとんどが少しほろ苦いものでもあるが…。
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ほかにもブログを公開しています。
◆ブログ「丼季報亭の四方山話」(2002年9月投稿開始)は こちらです。
◆4Travel「Donkyさんの旅のブログ」(2013年6月投稿開始)は こちらです。
あるのですね。得た知識が本物であることの検証の旅でもあります。
上杉鷹山公がどれ程偉大な人物であったのか知りました。ケネディ大統領までもが尊敬していたなんて!!
直江兼続公は、忠義に励んだまれに見る脇役に徹した
方ですね。武士道を貫きました。
米沢牛は、チャールズ・ヘンリー・ダラスさんの
お陰とはね~知りませんでした。
価値を認めて下さる方がいて、花は開くのですね。
とても勉強になる記事、ありがとうございました。
いつも 書き込み有難うございます。
謙信ファンの私としては 最高の学習の場でした。
「丼」