丼季報亭「8万時間の休息」

旅の記録や季節の便りそれに日々の思いを軽いトーンで綴ってみました。

496.「わろてんか」の街・大阪市内散策「あべのハルカス」と1600年の時を経て「堺・百舌鳥野」へ

2017-12-05 20:23:17 | 旅の記録
「わろてんか」の街・大阪市内散策その2です。

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まずは「日本一高いビル」となった「あべのハルカス」(Abeno Harukas)を訪ねてみました。
お天気も良かったので屋上展望台から大阪の街を東西南北見渡せることができました。
近畿日本鉄道の前身である大阪鉄道が大阪阿部野橋駅構内で1937年(昭和12年)から営業を行ってきた阿部野橋ターミナルビル旧本館(百貨店西館。久野節による設計)の建替計画により建築された建物であり、建築規模は高さ300m、延床面積21万2,000m2、地上60階・地下5階(SRC・S造)です。
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「日本一高いビル」です。あべのハルカス(Abeno Harukas)は、大阪市阿倍野区に立地する超高層ビル。
2010年(平成22年)1月9日に着工され、2014年(平成26年)3月7日に全面開業しました。
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日本全国展望台の高さ比べ 「あべのハルカス」が建物ではトップです。
2011年2月から地上工事が始まり、2014年3月に竣工、同年3月7日にグランドオープンしました。工事中の2012年8月時点で高さ300mに到達し横浜ランドマークタワー(高さ296m)の高さを抜き、「日本一高いビル」の称号が大阪に移りました。
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翌日は「古代史の街」堺へ向かいました。
「さかい利・晶の杜」千利休・与謝野晶子ゆかりの街です。 そして古代から長い歴史ある街です。
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堺市(さかいし)は、大阪府内で人口・面積ともに第2の都市であり、人口は2015年4月時点で山梨県・佐賀県・福井県・徳島県・高知県・島根県・鳥取県の人口を上回ります。ご存知でしたか? 

古代に造営された古墳が、1600年の時を経て今も残っている「堺・百舌鳥野」をゆったりと散策しました。
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百舌鳥古墳群にある仁徳天皇陵古墳は、エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵とともに世界三大墳墓の一つに数えられます。
三大墳墓の大きさを比べると、仁徳天皇陵古墳の巨大さがわかります。
仁徳天皇陵古墳 :全長486メートル 高さ35.8メートル 体積140万立方メートル
全長・体積 いずれも両者より大きいのです。

堺・百舌鳥野。ここには古代に造営された古墳が、1600年の時を経て今も残っています。
古墳文化が花開いた時代、大阪湾にほど近いこの地には、かつてない巨大な前方後円墳が造営されました。
そして、それをとりまく中小の古墳とともに、様々な形状の古墳を擁する古墳群を形成しています。
古墳の一つ一つがかつての日本の姿を今に伝える貴重な歴史遺産であり、日本の歴史の1ページを語る世界的な遺産でもあります。
古墳は日本列島の各地にみられ、それらの多くは一定のエリア内に群をなして営まれています。それらは「古墳群」と呼ばれていますが、古墳群の中でも特に大規模な前方後円墳が集中して営まれている大古墳群は大阪や奈良に多くあり、百舌鳥・古市古墳群はその代表です。

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百舌鳥・古市古墳群は、巨大な前方後円墳を核として、小規模の円墳、方墳に至るまで、墳形と規模のバラエティー豊かな古墳で構成されています。特に、この古墳群で見られる
①墳丘の巨大さ
②濠の多重化
③陪塚(ばいちょう)の多数配置は、
古墳築造の最盛期の姿をはっきり表しています。
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中心には応神天皇陵古墳  応神天皇陵古墳は、体積では国内最大で、仁徳天皇陵古墳を上回ります。国内最大とあって、古墳の前に降り立つと、圧倒的な存在感があります。

5世紀に造られたといわれる応神天皇陵古墳。地域で「応神さん」の呼び名で親しまれています。また、駅から応神天皇陵古墳に向かう間にも、さまざまな古墳に出会い、古代の香りを感じるエリアです。ちょっとしたトリビアですが、かつて「応神御陵前」という駅がありました。
しばし古(いにしえ)の時代へタイムスリップです。日本の歴史の長さの一端を感じます。


最後は今を時めく「わろてんか」の街・大阪。天神橋筋商店街散策後天満宮へ、
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「わろてんか」の街・大阪ですからもちろん「天満天神繁盛亭」も覗いてみました。

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天満天神繁昌亭は、大阪府大阪市北区天神橋二丁目にある寄席。
上方落語唯一の寄席で.落語を中心に漫才、俗曲などの色物芸の興行が連日演じられています。

通称「繁昌亭」と呼ばれ親しまれています。
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さて時まさに「薬の街大阪」では〈神農さん〉。人出と 各種出店でにぎわいを見せていました。

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●百科事典マイペディアの解説
神農祭【しんのうさい】:薬種問屋の並ぶ大阪道修(どしょう)町にある少彦名(すくなひこな)神社の祭(11月22~23日)。少彦名神社は日本の医薬の神少彦名命と,中国の薬祖神神農をまつり,俗に〈神農さん〉という。

大阪道修町にある「少彦名神社」です。

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神農祭は道修(どしょう)町にある少彦名(すくなひこな)神社の祭(11月22~23日)です。

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●大辞林 第三版の解説によると
しんのうさい【神農祭】:薬種商が、冬至の日に医薬の祖とされる神農をまつって祝う行事。大阪の道修どしよう町の少彦名すくなびこな神社が著名。 [季] 冬。

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少彦名神社は日本の医薬の神少彦名命と,中国の薬祖神神農をまつり,俗に「神農さん」といい親しまれて生活に根付いています。 関東ではあまり知られていませんが、大阪は薬種商の街であることを再認識しました。

それやこれやで初冬の つかの間の休息の時も 穏やかに過ぎていきました。


注)ブログ記事のうち景勝地の紹介文はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』および各地の公式サイトから抜粋・加筆したものです。


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