丼季報亭「8万時間の休息」

旅の記録や季節の便りそれに日々の思いを軽いトーンで綴ってみました。

497.多くの文学者が居住した町「小田原」は「風魔忍者の里」でもあるのだとか

2017-12-08 18:49:27 | 旅の記録

11月下旬のある日ちょっと「小田原」へ行ってきました。

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小田原には、明治の半ばから多くの政財界人や文人が邸園(邸宅と庭園)をかまえました。
海や山に囲まれた素晴らしい眺望、温暖な気候、豊かな食材などで多くの人を魅了した小田原。
「小田原邸園スタンプラリー」では、そんな個性豊かな小田原の邸園をめぐります。

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ご存じのように小田原市(おだわらし)は、神奈川県西部の市です、施行時特例市に指定されています。
関東地方の南西端に位置し、戦国時代には後北条氏の城下町として栄えました。
また江戸時代には小田原藩の城下町、東海道小田原宿の宿場町としても繁栄しました。

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さらに箱根峠より東側の宿場町として、現在も箱根観光の拠点都市でもあります。1876年(明治9年)4月17日までは、現在の神奈川県西部と静岡県伊豆半島を範囲とする足柄県の県庁所在地でもあった西湘地域の中心的な都市です。小田原提灯とかまぼこ、梅、等の特産地として全国的に有名です。最近では小田原バーガーや小田原どん、かまぼこドッグ、オリーブを売り出しています。

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中でも 蒲鉾の「鈴廣」はお正月の風物詩となっている「箱根駅伝」の小田原中継所として知名度は全国的ものになっています。

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小田原は、温暖な気候ゆえに、明治期以降は多くの政財界人や文学者が居住しました。文学者では、北原白秋や坂口安吾などの文学者など十数名にのぼります。小田原出身の文学者では、近代文学の先駆者とされる北村透谷、芥川賞作家で文化勲章を受章した尾崎一雄、また民衆詩派の中心詩人であった福田正夫や昭和20年代後半「抹香町もの」で一世を風靡した川崎長太郎などを輩出しました。
写真は「小田原邸園スタンプラリー」パンフをスキャンしたものです。

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このように小田原には出身やゆかりの作家が数多くいます。小田原文学館では、その生涯や作品を常設展示と、特別展示(年1~2回)、館蔵資料をテーマごとに紹介する特集展示(年4回程度)により、幅広く紹介しています。この洋館は小田原文学館本館として、文学者の資料が展示がされています。
写真は「小田原文学館」案内パンフをスキャンしたものです。

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小田原文学館は、昭和前期まで活躍した政治家田中光顕の別邸です。
白秋童謡館としても活用されています。 
田中光顕(たなかみつあき)は、土佐出身の幕末の勤王志士、明治維新後は政治家で、約11年間もの間、長く宮内大臣を務めた人です。そして昭和の時代まで生き、95歳という長命でこの世を去りました。
政界を引退した後は、武市半平太の遺族の面倒を見たり、幕末の志士たちの功績をたたえることに力を注いだようです。茨城県にある「幕末と明治の博物館」や東京都の「旧多摩聖蹟記念館」などの建設に携わり、収集した志士たちの遺品などを寄贈したりしたのです。
有名な高知の桂浜にある龍馬の銅像を建てるときにも昭和天皇の弟の秩父宮殿下から御下賜金をいただいたりと尽力したそうです。写真は「小田原邸園スタンプラリー」をスキャンしたものです。

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さて文学館の敷地に入ると赤松越しに白壁の洋館が見えます。

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小田原へ居住した文学者では、北原白秋や坂口安吾などの文学者など十数名にのぼります。
小田原出身の文学者では、近代文学の先駆者とされる北村透谷、芥川賞作家で文化勲章を受章した尾崎一雄、また民衆詩派の中心詩人であった福田正夫や昭和20年代後半「抹香町もの」で一世を風靡した川崎長太郎などを輩出しました。
写真は「小田原文学館」案内パンフをスキャンしたものです。

お昼は小田原早川港の魚屋直営で「鮮魚の達人」がプロデュースする「海鮮丼屋 地魚-海舟」で自慢の海鮮丼などをいただきました。

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「海鮮丼屋 地魚-海舟」
外観は、新鮮な魚貝類を取り扱う丼の専門店だとわかりやすいように、大きな写真を設え、店内には大きな大漁旗や小田原の象徴でもある「小田原ちょうちん」を飾り付けています。

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小田原早川港の魚屋直営で「鮮魚の達人」がプロデュースする新鮮な魚貝類を、小田原らしくアレンジしたメニューを取り揃え、どんぶりに「自然の恵み」と「様々な想い」を全て詰め込んで創り上げています。

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市内を散策していると うす皮あんぱんの「柳屋ベーカリー」・小田原城の建屋そのままの店舗である「ういろう本店」など他ではちょっと見られない街並みを見てちょっとだけ前頭葉に刺激を受けました。

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小田原市内には 小田原城の格好をした店舗があります。国道1号線沿いにある、外観がお城の建物です。小田原城から歩いて数分の距離にある「ういろう(外郎)本店」です。
ういろうが各種並べて売られていますが、店内には喫茶も併設されています。本来ういろうは薬であったことを証明しているのは薬局が併設されていることです。
これを初めてみるとちょっとした驚きです。

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創業大正10年 うす皮あんぱんで有名な「柳屋ベーカリー」です。 「ういろう本店」よりも箱根寄りに位置しており、黒塗りの昔ながらの歴史を感じる木造店舗です。
キュートな店構えと手のひらサイズの薄皮アンパンが人気ですが、この日は日曜日で休業日。お土産に買い求めることはできませんでした。小田原は日曜定休の店舗が多く、買い物は営業日・営業時間帯の事前チェックが必須です。

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店舗左手のショーウインドウ内には、アンパン見本のラインナップと一緒に、訪れた有名人のサイン色紙も一緒に飾ってあります。また、店舗の古写真や提灯が飾ってある所が、城下町小田原らしさを感じます。

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帰路の小田原駅構内には「小田原提灯ぶら下げたお猿の駕籠や」と並んで「風魔忍者のいでたち」が記念撮影用に設置されています。なぜ「風魔」かというと
小田原は北条早雲から北条氏直まで北条五代の隆盛を影で支えたという風魔忍者の里でもあります。風魔(かざま、ふうま)あるいは、風摩(かざま)、風間(かざま)は、相州乱波、乱波(らっぱ)とも呼ばれる、戦国時代の相模国で活動した忍者集団で、遅くとも第3代当主・北条氏康の時代から主家滅亡までの間、後北条氏に仕えていました。
主家の滅亡後は江戸近辺で盗賊として活動していたそうですが、密告により一網打尽にされたのだとか。江戸の怪盗「風魔」の徒党ってホントにいたのですね。びっくり
『武江年表』の天正18年(1590年)の記事に天正年間に風魔という名の乱破が徒党を組んで、関東で強盗働きを行っていたと記述が残っています。

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現在の神奈川県小田原市付近の相模国足柄下郡風祭の近くに風間谷という地名があることから、忍者の解説書などではこのあたりを根城にしていたと書かれているのです。
蒲鉾や箱根駅伝で有名な小田原ですが、その歴史の中でも多くの文学者が過ごした街であることはあまり知られていませんね。

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穏やかな散策をお好みの方は お時間のある時にぜひ一度訪ねてみてはいかがでしょうか? 

お薦めです。

詳しくは 旅のブログ4Travel.jp ☞https://4travel.jp/travelogue/11309603
でもご紹介しています。

注)ブログ記事のうち各訪問先の紹介文はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』および夫々の公式サイトから抜粋・加筆したものです。


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2019-02-14 01:34:53
小田原に風間谷という地名はないと思います。
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「8万時間の休息」 (丼季報亭)
2022-03-24 06:42:48
ご指摘ありがとうございました。その地名が現存するかどうか疑いもせず記事に引用したのは不注意でしたね。
歴史書などでは足柄山の麓に記録として残っているようですが、ご指摘のように現在ではその地名はなくなっています。

**(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の風祭の項でも、忍術・忍者の解説書で、風祭の近くに「風間村」「風間谷」という地名があると書かれていることがあるが、そのような地名は存在しないとのこと。
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