「悠々上海」その6
上海の旅もいよいよ 最終日を迎えました。
朝9時にバスは ホテルを後にして上海郊外に向かって出発しました。
上海市の中心から西に约49km行くと“上海第一大鎮”とも称される朱家角(ZhuJiaQiao,しゅかかく、ツーカッコ)があります。
朱家角は上海市青浦区にある鎮で、典型的な江南の水郷・古い街です。
面積は約138平方km(水域部分も含め)あり、人口は約66000人(2003年)。
2000年に沈巷鎮が朱家角に併合されています。
東に松江区の小昆山,南に練塘,西南に西岑,西に澱山湖、北に江蘇省昆山市の澱山湖鎮と接しています。
4つの湖(澱山湖、大淀湖、西洋淀、三分蕩)と5つの河流(漕港、攔路港、朱泖河、井亭港、市河)と西部に淀山がある それほど広大な土地がほんとに朱さん家のものだったのでしょうか。
朱家角というのは上海郊外の「江南の名鎮である」といわれていますが この街は文化大革命までは朱家のものでした。
そうなのです つまり朱一族が所有する鎮(街)であるので朱家角と名づけられていたのだそうです。
革命運動が起こるや 粛清を恐れた朱家の一族は海外に亡命したそうですが、残された資産は国家に没収されたとのことです。
どこかで見かけたような風貌の昔懐かしい船頭さんが漕ぐ舟で歴史のある街を水上からウオッチングです。
船頭さんはNHK大河ドラマのある脇役にそっくりでした。 船の定員は漕ぎ手を含み8人乗りです。
江南の水郷であり歴史ある街のすべてが ある人ひとりの所有物であったなんて これもまた中国ならでは スケールの大きな話ですが・・・。
朱家角は「小橋と流水の天然風景、正真正銘の明清時代の町」と形容されているそうです。明時代の万歴年間に正式に鎮として成立しました。
全鎮敷地面積は47平方キロ、9つの長い町並みが河沿いに伸びて千棟以上の明(1368 - 1644年)、清(1644-1912年)時代の建物があります。
そして古い石橋が36個 そのまんま残っているそうです。
古い水郷にも 中国らしい スケールの大きな歴史を見た気がします。
今回の旅ではいろんな歴史に触れ 自分にとっての新発見も多く
このごろ衰え始めた脳をほんとに 刺激できました。
これが この旅の最大の収穫です。
今日もお立ち寄りいただいて有難うございます。
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注)ブログ記事のうち朱家角の詳細はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋・加筆したものです。
文化大革命までは朱家のものでした。
9つの長い町並みが河沿いに。
千棟以上の明、清時代の建物。
中国人の生活環境には驚かされます。
古い時代の環境が壊されず活き活きと使われている。
歴史とは長~い目で捉えるものですね。
どこへ行っても 都市部以外は 環境が壊されることなく 有意義に使われています。
どこか まだ発展途上なんでしょうが・・・。
「丼」
この建物、どこかでみた、・・ 思い出した、オーストリアはインスブルックの「金の屋根」。この写真は建物の一部がレンガ色のバルコニーとなって突き出していますが、「金の屋根」も屋根が金色のカワラで吹いてあるだけの違い。絵ハガキも、マグネットもお土産屋さんは「金の屋根」だらけでした。でも東西同じような発想をするもんです。
そうなのです 突き出したバルコニーのこの造りは他に無く ちょっとユニークでした。
ケンタッキーフライドチキンの店といい この街のどのビルも少しユニークに感じましたが・・。
「丼」
”江南”と書いて、”えなみ”って読むと~
私の母方の姓です。
きっと、ルーツは”江南”ですね。
その、江南(えなみ)の祖父の顔がアフガニスタンの人々にそっくりなんです。
母がアフガニスタンの人をテレビで見ると、
「亡くなったお父さんにそっくり!」って言うんです!
シルクロードを通って、江南に辿り着いたんだと思います。
(私事で、失礼しました。)
お久しぶりですね。
そうですか、えなみさんでしたか?
シルクロードを通って、江南に辿り着いたに
きっと違いありませんね。
「丼」