「悠々上海」その1
14日夕刻 全日空直行便は定刻より30分近く遅れて上海に向かい離陸しました。 3時間30分のフライトの後 現地時間で午後10時近く上海国際空港に到着しました。 今回訪れたのは1月中旬ですが旧暦の中国ではこの時期ちょうど年末にあたります。
【ANA921便 夕機内食】
滞在中の上海は全日晴れ、日中は気温2~10℃ 最低気温0~-6℃くらいです。 行く先々の訪問地では一夜明けると厚さ1センチくらいの氷が池の表面を覆っていました。 上海は北緯31度、東経121度 緯度で見ると鹿児島県指宿の九州最南端(奄美・孤島を除く)辺りと同緯度です。
緯度は鹿児島くらいですが体感温度は東北地方くらいの気候でしょうか? 東京に比べると かなり寒いという印象を受けました。 その寒いなかを1月25日からの春節(旧正月)を故郷で過ごそうと火車(汽車・列車)の切符を求めて駅には朝から人が溢れていました。
2007年末の上海市の人口は1858万人、この内上海市戸籍を持つ人が1378.86万人(820万人が都心部に住む)、上海市居住証、暫住証を持つ中国人と香港、マカオ、台湾以外の外国人(10万人以上)が479万人。それ以外の出稼ぎ労働者(いわゆる"民工")が660万人以上。
合わせて総人口は2500万人で東京の2倍以上。 それでも中国全土では3300万人の武漢に次ぐ2位だとか。
でもこの数字も 現地ガイドの李さんによれば2300万人ですから"民工"の実態は把握できているのかどうか?
近年中国の優秀人材に上海の戸籍を発給したり (いわゆる"新上海人")、上海人に二人の子を産む許可を出すなどの人口政策を打ち出していますが・・・。現在上海市家庭総数の61.06%に当たる305万世帯が一人っ子家庭。高齢化と少子化問題は市政府に対して大きな課題となっています。
さて15日木曜日、観光旅行の開始です。ホテルで朝食後、市の中心部から1時間くらいのところにある七宝古鎮へ向かいました。 北宋時代に建てられ、その後1000年以上にわたって栄えた歴史ある街である七宝。 ここでは、近年になって当時の面影を再現。小さな街に観光客を招き入れています。
北宋(ほくそう:960-1127年)は、中国の王朝で首都は開封。 趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建国しました。本来の国号は宋ですが、金に開封を追われて南遷した後の南宋と区別して北宋と呼び分けています。
路地のような狭い通りに小さなお店が並んでいて 焼き鳥みたいなものや雑貨などのお土産品が無造作に売られています。
七宝老街の入り口門のそばに2010年上海世界博のマスコット・ハイバオが置かれていました。上海を象徴する 過去・現在・未来の不思議なゴッタ煮で見られるのもこの街の特徴のひとつといえます。
ついでながら遣唐使で有名な300年近い歴史を持つ「唐」(618-907年)の滅亡から宋の成立までの間に、黄河流域を中心とした華北を統治した五つの王朝(五代)と、華中・華南と華北の一部を支配した諸地方政権(十国)とが興亡した時代がありました。 五代十国時代(ごだいじっこくじだい、907-960年)といいます。
七宝を後にして バスは、かの有名な小龍包(ショーロンポー)の発祥の地南翔へ向かいます。
注)ブログ記事のうち上海市人口詳細はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋したものです。
今回のツアーの食事は おいおいご紹介していきますが至れり尽くせりでした。
でも往路のANAの機内食の味覚が 一番私にはあっていました。贅沢な話ですね。
「丼」
お帰りなさいませ。
ANA921便夕機内食はおそばもあるのですね。
緯度は鹿児島、体感温度は東北地方。
1月25日からの春節(旧正月)。
総人口は2500万人で東京の2倍以上
出稼ぎ労働者(いわゆる"民工")が660万人以上。
61.06%に当たる305万世帯が一人っ子家庭。
北宋(960-1127年)開封。趙匡胤。
金に開封を追われて南遷した後の南宋と区別。
2010年上海世界博のマスコット・ハイバオ。
唐618-907年の滅亡から宋の成立までの間。
五代十国時代907-960年。
上海を象徴する「過去・現在・未来の不思議なゴッタ煮」とても興味深く拝見致しました。