今回は信州松本ぶら歩きの旅です。
11月上旬 新宿駅から松本へ 特急スーパーあずさ 14:00発
途中車窓から外の景色を眺めていると下諏訪駅で万治の石仏:上諏訪駅でホームに足湯を発見 気分がほのぼのとしてなんだか嬉しくなりました。
一日目の宿は JR松本駅から徒歩数分 「松本ツーリストホテル」泊
松本市は国宝松本城を中心とする旧城下町です。 幸いにも戦災を免れたことから、旧開智学校(重要文化財)などの歴史的建造物が多く残っています。 他に戦災を免れた中規模の旧城下町としては、金沢市や川越市などがあります。
松本市は「文化香る城下町」で市のマスコットはアルプちゃん。
松本は県庁所在地ではないものの、日本銀行松本支店、松本空港、信州大学本部、FM長野本社、陸上自衛隊松本駐屯地などがあり、特に日銀の存在は松本市として、長野市とともに複眼構造をなすことにより、県の経済の中心に押し上げる役割も持っています。
商業販売額は長野市に次いで県内2位ですが、松本パルコをはじめ、人気の高いアパレル商業施設やスーパーマーケットを抱え県内各地から消費者が訪れることや、市街地型複合店舗の立地数が県内では最多です。工業生産額は安曇野市、上田市に次いで県内で3位であり、県内工業の拠点の1つでもあります。
松本市のキャッチフレーズは●「文化香るアルプスの城下町」それに ●「三ガク都」
「三ガク都」とは 楽都、岳都、学都の三つのガク都。音楽、山岳、学問で有名なためです。
有名な伝統工芸品として全国的に知られる押絵雛を始め、年末に売り出される「御神酒のくち」「初音」「初市のだるま」「厄除けのはね猫」「七夕人形」「手毬」など、数えあげればたくさんの種類が・・・。
その中で手毬は、白地に赤や黄色、紫など美しい色でからげた手毬は、昭和の始め頃までもてあそばれていたと言います。現在は、手毬は、「松本てまり」と呼ばれ松本の伝統的な工芸品としてお土産品や贈答品などで親しまれています。
江戸時代には「生安寺小路」と呼ばれていた高砂通りなどを散策。 市内散策の中で 国宝天守を持つ松本城へ2度訪れました。高砂通りは人形のマチと言われており歴史を感じる街です。
「水と人形のまち 高砂通り」は、人形店が軒を連ねる歴史ある通りです。
パンの店、コーヒー専門店、せんべい・あられの店など比較的歴史が浅い店もこの界隈の雰囲気に調和して以前からそこにあったかのような佇まいを持ち、通りの東端の「源智の井戸」まで飽きずに歩くことができます。
高砂通りを流れる側溝のような榛の木川は、この辺りのいくつもの湧水が集まって川の流れになったそうです。
蔵のまち 中町へ
江戸、明治等の大火から守るために、漆喰で作られた“なまこ壁の土蔵”が今も数多く残っている商店街です。
4月から12月まで、毎週土曜日朝9時30分から地元農家直売の新鮮野菜の朝市を開催しています。
詳しくは 旅のブログサイト4Travel
130 「秋深し信州松本ぶら歩き(1) 人形の街高砂通や蔵造りの街を市内散策」
https://4travel.jp/travelogue/11420385
でご紹介。
二日目は 東側の美ヶ原高原にある美ヶ原温泉 「旬彩 月の静香」泊
「美と健康」がテーマの旬彩「月の静香」の料理は地元で採れた新鮮食材にこだわりながら、山の幸だけでなく、海の幸とのハーモニーを楽しめる創作料理です。
二日目の宿は美ヶ原温泉 「旬彩 月の静香」です。1300年の歴史の「美ヶ原温泉」は、無色透明の弱アルカリ単純泉で泉温は43度前後、大変に肌にやさしく湯冷めし難い温泉として、地元の温泉好きにも人気があります。 効能は神経痛、リウマチ、ストレス解消などに絶大な効果があるそうです。
250年の歴史ある古民家を移築した別館や、全室桧の温泉風呂付き現代数奇屋作りの新館 など日本情緒を大切にした風情ある宿です。
「旬彩 月の静香」霜月の献立表
繩手通りは、松本城から歩いて5分、松本駅から歩いて10分のところにあり、個性的なお店が長屋風に軒を並べる商店街です。女鳥羽川の土手から始まった通りで、「縄のように長い土手」から「縄手」と呼ばれるようになりました。
通りの中程には「カエル大明神」を奉り、パワースポットとして多くの参拝があります♪街のところどこにカエルの石像もあります♪
繩手と蛙その昔、女鳥羽川には清流にしか生息しない「カジカガエル」がいっぱいいました。
残念ながら現在はその姿が見れませんが、その復活と街おこしをかけて、なわて通りは「カエルの街」としています。
松本城は戦国時代の永正年間(1504-1520年)に、信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれています。
前述の通り戦国時代、松本は信濃守護小笠原氏の支配下に置かれていましたが、
江戸幕府の藩祖は、徳川家康に仕えた「三河の旗頭」の一人・石川数正10万石です。
これより松本藩歴代藩主は六家二十三代続きます。
●松本藩の藩祖は、徳川家康に仕えた「三河の旗頭」の一人・石川数正です。秀吉は数正を家臣として迎え、和泉に8万石を与えました。天正18年(1590年)、家康が関東に加増移封されると、その後を受けて信濃松本10万石に加増移封。
●石川家改易後の慶長18年(1613年)11月、飯田藩より小笠原秀政が8万石で入部。
●1617年上野高崎藩5万石より戸田松平康長が2万石加増の7万石で入封。
●1633年結城秀康(家康の次男)の3男・松平直政が越前国大野藩より7万石で入部。
●徳川家光のもとで老中を務めていた堀田正盛は寛永15年(1638年)3月、武蔵川越藩3万5000石から6万5000石加増の10万石で入部。
●1642年堀田正盛の後は三河吉田藩より水野忠清が7万石で入封。
水野家改易後の1725年10月、しばし幕府直轄となり, やがてかつて松本藩主であった松平康長の系統を継いでいた志摩鳥羽藩主の松平光慈が1726年6万石で入部。以後 維新までの約140年間戸田松平家9代の支配を経ます。
松本城(まつもとじょう)は、安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されています。
本丸内側より。
右から乾小天守、渡櫓、大天守、辰巳附櫓、その手前に月見櫓以上のすべてが国宝に。
駅に辿り着く前に、もう一つの松本城を見ることができます。古本店「青翰堂」です。
今では観光客がこの建物を見に、年間1万人は来るのだとか、たびたびメディアに取り上げられており、観光客からの知名度も高いそうで。結構有名なのに、詳しい事はあまり知られていないようです。
詳しくは 旅のブログサイト4Travel
131 「秋深し信州松本ぶら歩き(2)美ヶ原温泉「旬彩 月の静香」泊 松本城をゆっくり見学」
https://4travel.jp/travelogue/11420467
でご紹介。
今回は天候もそこそこ 最終日は好天に恵まれて のんびりと信州松本の秋を楽しめました。 了
注)記事中 各地の紹介はフリー百科「ウイキペディア」および宿と現地公式サイトから抜粋引用したものです。