天高し 大地の恵み 彩りを
食卓に 実りの秋の メッセージ
秋ですねえ 実りの秋 栗や柿に加え 忘れてならないのが 薩摩芋ですね。
関東では 薩摩芋といえば 川越なのですが・・・。
川越市(かわごえし)は、関東地方の南部、埼玉県の南西部に位置する人口約34万人の市。旧入間郡。さいたま市、川口市、所沢市に次いで埼玉県では人口第四位。中核市と業務核都市に指定されています。
江戸時代には川越藩の城下町として盛えた都市で、「小江戸」の別名を持つ。戦災を免れた為、歴史的な街並や寺院などが多く残っており、市内の観光名所には年間約550万人もの観光客が訪れます。 埼玉県では第一の城下町ともあって、廃藩置県の時期には、入間県の県庁所在地であったことは知る人ぞ知る歴史の事実です。
市街地を川が囲む形となっており、川を越えないとたどり着けないことから「河越(川越)」と称されたと言われています。しかしながら古文書等にも伝説として記載されており、はっきりした由来は不明だそうです。
写真右が埼玉県大宮産「紫いも」の饅頭です。
今年は10月18-19日が川越祭りです。この祭りは大変な人出になります。
祭り大好きの家人が川越へ出かけて 紫芋の饅頭を買って帰りました。
紫芋の饅頭は一個しかなかったので、 冷蔵庫へ入れてそのまんまで まだ味わってないことを思い出してしまいました。
さつまいもは今から400年前にメキシコから中国経由で沖縄に伝わり、それから全国に広まっていったそうです。
悪天候で粟や稗が育たなくても、さつまいもは丈夫で簡単に作れる作物だったので、昔の人々の常食とまではいかなくても、1日に1食は必ず口にする食べ物でした。売り物のためではなく、どこの農家でも自分達の食べる分だけを作っていたそうです。
ところが江戸時代の終わり頃になり、江戸に焼き芋屋さんが現れたのです。
昔はどこの農家でもさつまいもを作っていたので、余った芋がたくさんあり、その芋を焼き芋屋が農家から買い、焼き芋として売っていました。
焼き芋は江戸庶民のスナックとして大人気となり、たちまち焼き芋屋のない町はないほどになったため、農家の余ったさつまいもだけでは足りなくなってしまい、そのため焼き芋屋用のさつまいもの産地が必要になりました。
川越は新河岸川という川が流れており、その川にはいくつも港があったそうです。舟運が発達していた川越は、江戸との交流が深く、地の利があったため、川越周辺でのさつまいもの生産はどんどん発達しました
ただ作るだけでなく、焼き芋屋のいもとして売り物になるさつまいもは〈色・形・味〉を考えて作られるようになったため、川越のさつまいもはどんどん質が優れていきました。
川越の南に広がる武蔵野台地で採れるさつまいもは「川越いも」と呼ばれ、格上に扱われたそうです。
それから昭和30年頃までさつまいもの生産はさかんでしたが、時代の移り変わりとともに、川越で作られるさつまいもは少なくなり、今では埼玉県としてのさつまいもの生産量は全国で11位。 それでも尚、川越=さつまいもとして知られる訳は、川越が観光地として発展したことにあります。(サツマイモ資料館 館長 井上 浩 氏の話より)
川越には上の「時の鐘」のような歴史的な建造物がたくさんあります。でも 観光地として定着したのはここ最近のことだったのですね。
都心からほんの1時間で 江戸の名残に出会える町「川越」お時間あれば 一度お出かけになったらいかがでしょうか?
川越藩の城下町は戦災を免れたんですね。
川を越えないとたどり着けない場所が由来とは。。
水上交通が発達していたということですね。
さつまいもの歴史がまだ400年とは以外です。
「川越いも」は特上品だったんですね。
いつもブログお立ち寄り有難うございます。
10月18-19日は川越祭りです。祭り大好きな妻が 川越へでかけて 紫芋の饅頭を買って帰りました。
それがこの記事の きっかけです。紫芋の饅頭は一個しかなかったので 冷蔵庫へ入れたままで まだ食べていません。
すぐに食べないと 川越祭りの雰囲気をなくしてしまうのに・・・。
「丼」