丼季報亭「8万時間の休息」

旅の記録や季節の便りそれに日々の思いを軽いトーンで綴ってみました。

458.美瑛町四季彩の丘と 富良野ファーム富田 

2013-10-08 22:04:26 | 旅の記録

  旭岳空中散歩・散策を終えて 美瑛へ向かいました。富良野「ファーム富田」では最初の訪問時の印象を大きく変える事態が待っていました。

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         ロール君って言うのだそうです

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美瑛町(びえいちょう)は北海道上川地方のほぼ中央、石狩国上川郡にある町です。

近隣の富良野市と共に北海道を代表する観光地として知られています。丘陵風景と花の風景が人気で、北海道外からの移住者も多いようです。

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「パッチワークの路」エリア
美瑛を代表する2大観光コース。連作防止のため区画ごとに畑に異なる農産物を植えていることからその名がつきました(国道237号の西部)。

上川 四季彩の丘

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四季彩の丘(しきさいのおか)は、北海道上川郡美瑛町にある観光名所。正式名称は「展望花畑 四季彩の丘」。
世界遺産白川郷のある岐阜県白川村、黒川温泉のある熊本県南小国町などと共に「日本で最も美しい村連合」に加盟しており、その事務局が美瑛町に置かれています。
地名の由来はアイヌ語のピイェ(piye 脂ぎっている)で、脂のように濁った川を意味するという説があります。
1900年(明治33年) 石狩国上川郡神威村(現旭川市の一部)から分村、上川郡美瑛村になり・・・。

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1915年(大正4年) 二級町村制、美瑛村
1923年(大正12年) 一級町村制、美瑛村から
1940年(昭和15年) 町制施行、美瑛町になりました。
1971年(昭和46年)7月12日 風景写真家・前田真三が美瑛の丘の風景と出会い、以後、その作品を通してこの地が有名になっていきました。

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基幹産業は農業で、じゃがいも・小麦・テンサイ・トウモロコシ・トマト・アスパラ・小豆・米などを中心とした農産物が生産されています。
また、その野菜を加工する食品製造業、そして木材加工などが盛んです。観光業は白金温泉のほか、町内にはペンションなどの小規模な宿泊施設が点在。地元食材を使った名物が美瑛カレーうどん。つけめんスタイルのカレーうどんが人気です。
また、地元酪農家から出された生乳100%の限定牛乳「おいしい丘のまち美瑛牛乳」も人気です。

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観光名所 四季彩の丘(しきさいのおか)パノラマロードの小高い丘にある「展望花畑 四季彩の丘」は、7ヘクタール(東京ドーム3個分)もの広さ。
季節によってはラベンダーやルピナス、コスモス、ヒマワリなど年間約30種類の草花が、
丘全体にカラフルなじゅうたんのように咲き誇る美瑛を代表する花園です。

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園内には農産物直売所やお土産販売所、レストランなどがあります。

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トラクターバスで園内を巡る四季彩ノロッコ号、
白樺に囲まれた花畑を一周できる貸しバギー、
花畑の好きな場所に移動できる4人乗りのカートといったアトラクションもあります。
所在地 - 〒071-0743 北海道上川郡美瑛町新星第三

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開園時間
10月 - 9:00~17:00 (後半は16:30まで)
11月 - 9:00~16:30
12~2月 - 8:30~16:00
2月 - 9:00~16:30

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入場料 - 無料。花畑の維持管理費用として一人あたり「200円」相当の募金をお願いしており入口に募金箱を設置してありました。 このシステム どこかで遭遇、そうそう 秩父羊山公園の芝桜もこの仕組でしたね。なかば入場料みたいに支払っていましたが、美瑛ではほんとの任意みたいで、たくさん募金に応じる人もいるようでした。

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四季彩の丘 今現在咲いてるのは、サルビア、黄花コスモス、ダリア、クレオメがメインです。
花畑もラストスパート!!10月の霜が降りるまで綺麗に咲いています。
 夏場には、ひまわりの迷路なんてあって楽しいのですが・・。(*^_^*)

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美瑛から 富良野 富田ファームへ向かいました。

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ファーム富田(ファームとみた)は、北海道空知郡中富良野町にある農園です。
園内にはドライフラワーを使用した土産屋や資料館も位置しており、営業時間内は入園無料です。所在地は北海道空知郡中富良野町北星。主にラベンダーを中心とした花を呼び物に、春から秋にかけて開園しています。

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1897年に北海道国有未開地処分法が制定され、本州等から北海道へ移住してくる人々が急増、その中にファーム富田の創始者である富田徳馬もいました。富田徳馬はその後1903年に現在の北海道中富良野町に開墾の鍬を下ろし、その苗字がファームの由来となっています。

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徳馬の孫、富田忠雄は1953年、当時富良野一帯においてラベンダー栽培の先駆的人物であった上田美一のラベンダー畑に出会い、1958年より香料用としてのラベンダー栽培を開始。妻と共に開始した畑は10アールの広さにまで及んだのです。

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その後ラベンダー畑はおよそ1.2ヘクタールにまで拡大、富良野地方全体でもラベンダーの栽培地域が230ヘクタール以上に拡大しましたが、以降は急激に衰退。
ピーク時にはラベンダー栽培農家が250戸以上・全道のラベンダーオイル生産量も5トンに上っていましたが、1972年頃から貿易の自由化が始まって価格の低い香料が広まり、合成香料の技術が進み始めると、製造していたラベンダーオイルの買い上げの価格も急落。翌1973年には近隣一帯のラベンダー栽培農家がほぼファーム富田のみとなってしまいました。

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1976年5月の日本国有鉄道のカレンダーにファーム富田のラベンダー写真が紹介されると、徐々に観光客やカメラマンが訪れるようになりました。また、その後にドラマ「北の国から」で放送されると、観光地として一躍有名になったのです。

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ファーム富田に隣接するメロンハウス。

施設に隣接している「とみたメロンハウス」はファーム富田とはまったく関係ないのだそうです。
ここも商売ご発展で何よりと思った矢先、聴くところでは、富田メロンハウスとファーム富田は なんと犬猿の仲みたい。

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富田メロンハウスと富田ファームの間には 高い塀を作って 次のような内容の看板が・・。
ここまで来ると、いただけません。 ファーム富田創設者が泣いてますね、きっと・・。

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折角旅も終盤に差し掛かり 良い気分のところを どこか興ざめ。
ファーム富田って好きな場所のひとつだったのに。

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最後は 2日目の宿泊先 新富良野プリンスホテルです。
別棟の温泉へ行くには エレベーターを4回乗り換えます。
慣れれば 歩いていけますが・・。
ここではなかなか優雅に過ごせたので 詳しくは また次回のご報告。

注) このブログ記事中 美瑛とファーム富田に関する記述はフリー百科ウィキペディアなどから抜粋し一部加筆したものです。
ブログは1回の記事の掲載写真数量に限界があります。 より詳しくは4Travelの旅行記でもご紹介しています。
http://4travel.jp/traveler/donky2013/album/10819740/


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