これまで沖ヨガの創始者沖正弘先生とインド哲学専門家で60歳にヨガを始められた佐保田鶴治先生の著書はかなり読んだが、中村天風先生の本は初めて読み始めたところ。やはり昨年から偶然に行き出したインドアシュラムの創設者や小生のインドの師匠と同じように中村天風もヒマラヤで修行をしていた。
「実際にヨーガを広めたのは、1950年代より活動を始めた二人の人物である[220]。一人は、沖ヨガの創始者沖正弘で、ヨーガを体系的に指導した先駆者であり、多くの後進を育てたことから「日本ヨガの父」とも呼ばれる[220]。沖のヨーガは、英語圏で隆盛した近代ヨーガのアーサナを取り入れているが、アーサナ中心ではなく、東洋医学や禅も取り入れた、いわば「日本的」なスタイルとなっている[181]。沖と双璧とされるのが、インド哲学の権威佐保田鶴治で、『ヨーガ・スートラ』などのヨーガ文献の翻訳とヨーガの思想をまとめあげ、60歳を過ぎてから本格的な実践を始めて、多くの人に受け入れられるヨーガを紹介した[221]。戦前から戦後にかけてのヨーガは、政治家や知識人、経営者などの一部のエリート層に限られて行われており、ヨーガの思想を学んだり、座禅のような瞑想を中心とするようなものであったらしい[49]。」
中村天風は日本軍の密偵だった。沖先生は諜報部員。二人ともインドで修行しており、世界を駆け回っていた。
以下は
からの引用。
「近代日本における本格的なヨーガの受容は、1919年に中村天風が天風会を設立し、各界で説法したことに始まる[220]。ただし、天風は「ヨーガ」という言葉をほとんど使用せず教えを説いており、自らの技法を「心身統一法」としている[181]。ヨギ・ラマチャラカ(ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン)は天風に大きく影響を与えたといわれている」