新潟久紀ブログ版retrospective

柏崎こども時代21「イシザキ遊技場(その1)」

●学童の立ち寄り先・イシザキ遊技場(その1)

 今から思えば、何事もアナログの昭和の半ばにおいて、小学生にとってドンピシャだったり少し背伸びをするような遊び場に恵まれていたことは幸せな環境だったと思う。
 放課後の広い校庭で大勢の級友らと大声を出してボール遊びをすることができただけでなく、退校時間による運動場閉鎖後も近くの公園へと場所を変えて、暗くなるまで馴染みのメンバーで草野球に興じることができた。
 学童だからそうした身体を動かす遊びが手軽で一番楽くて、頭を空っぽにするかのごとく毎日のようにそれらを重ねるのだが、小学校の高学年くらいになると、他に面白い事は無いのかという気持ちになってくる。
 そういう年頃というのは、駄菓子屋に時折通っては射幸心をくすぐるクジ引きなどに慣れてきて、限られた小銭をいかに楽しく使うかということも身に付き始めているので、次なるステージへと目が向く時期にも重なっている。
 近所に住む同級生の中でも特に気が合って良く遊ぶ男児が3人ほどいたのだが、中でも少し”ませ気味”の者がいて、一歩先ゆくことをしてみようという時は彼が提案者になっていた。小学5年生の終わり頃に彼は「俺たちだけでイシザキのゲームセンターに行こう」と言い出した。
 「イシザキ」というのは、柏崎市の中心市街地のど真ん中にて昭和40年代半ばのアーケード整備に併せて建造された柏崎市としては初の総合スーパーマーケットで、うろ覚えだが、5軒ほどの幅で鉄筋コンクリート造4階建てを誇り、戸建ての小売店舗が居並ぶ中にあって当時の地元としては商店街のランドマークだった。
 総合スーパーではあったが、食品、衣類、家具、家電製品、玩具などを各階に分けて販売しており、屋上には一時期とはいえ遊園地的な施設もあったと思う。子供の私達から見れば、高級なデパートであり、買い物したり遊んだりするのは大人に連れられてでなければ行けないような少し敷居の高い場所だった。
 そんなわけで子供だけで出入りするのは中学生以上というような暗黙の雰囲気が我ら小学生達にはあったので、僕たちだけでという発案には私も他の友人も少し「ええっ」と驚いた。
 でも、子供というのは、何となく自分を不自由にさせている空気から抜け出してみたいと思うもの。別に市の条例などで規制されていた訳でもないのに、その見えないハードルを突破しようという企画に、皆が考えなしに「行こう行こう」と意気投合した。
 ただ、毎月のように定例で校庭に集められて聞かされる”校長先生のお話”や担任の先生からは「子供だけでそうした所に出入りしない、買い食いなどしない」と度々言われていたように思うのが気になる。先生たちに正面切って「行っていいですか」などと尋ねるほど僕たちはバカではなかったが、大人の常識を踏まえると親の承諾を得るのがハードルだなあと直ぐに思えた。
 現代の小学生くらいなら、友達とだけでモールやゲーセンに行くくらいどうってことないと思う親が多いと思うが、昭和の半ばはまだ子供の素行に対しては厳格な親が多い時代で、我が家も"ダメだし"が出るのではと危ぶまれた。いずれにしても、定額の小遣い制では無かった我が家においては、黙って出掛けることはできても遊ぶお金がなければ友達のプレーをひたすら羨ましく眺めるだけで終わってしまう。
 少し逡巡しながらも、私は意を決して母に許可を申し入れたのだ。

(「柏崎こども時代21「イシザキ遊技場(その1)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代22「イシザキ遊技場(その2)」」に続きます。)
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