新潟久紀ブログ版retrospective

病院局総務課9「病院へ泊りがけで視察に行く(その1)」編

●病院へ泊りがけで視察に行く(その1)

 県職員とはいえ病院という企業経営の管理監督者側に立つと、特に厳しく辛い思いをする仕事の一つに組合交渉というものがある。病院現場で日々汗を流す医療従事者の皆さんにとって、本庁に居てヒト・モノ・カネの経営資源の調整などに携わる私たちは経営の企画立案や管理運営する立場であり、いわゆる「当局」として労働条件に関する要求を向けられる役目になるのだ。
 同じ県職員として実質的に労働条件が殆ど裁量の余地無く決まる「当局」と「組合員」双方の間柄において、搾取するとか搾取されるとかということはありえないことであり、最初のころは「交渉」にどれほどの意味があるのか懐疑的であった。例えば、労働条件の基本中の基本である給与については、制度的には交渉を通じて県立病院で独自に設定することは可能なのだが、不採算な政策的医療を担う県立病院としては赤字基調になりがちな中で、純損失が続くから他の県職員とは切り離して独自に給与を削減するなどということは現実的ではない。そんなことをすればたちまち人材が蒸散して経営は立ちゆかない。人事委員会勧告等に基づき調整される一般の県職員に準じて決まるということが通例化しているのだ。なお、昨今のように県庁全体として財政危機を踏まえて給与削減するという時には、組合も合意して行政業務の県職員と同様の給与削減に応じている。
 しかし、初めて病院局という職場に来て色々と交渉事に関して見聞きしていくと、交渉する項目というのは多岐に及ぶものと知ることになる。そして、戦後間もない頃に国策組織を県立病院として引き継いで以来の長きに渡る歴史の中で、交渉に基づく労働協約の積み重ねにも大変な先人達の苦労による歴史があることを知るのだ。
 例えば、看護師の夜勤は最低2人体制で月に8回以内とする、いわゆる「ニッパチ」として全国的に名の知れた労働条件は、新潟県立病院における組合交渉を起源とするものなのだという。以前、N・H・Kと称して、新潟・北海道・高知が組合活動の強いところだと漏れ聞いたことがあるが、さもありなんだ。
 経営企画員という係長格の職制を2年務めた後、居成りで総務課長補佐となった私は、厳しい組合交渉の場面で病院局長の名代として矢面に立つ総務課長を支える役どころとなる。組合交渉においては、規模も機能も異なる病院ごとの実情に基づいて多種多様な労働に関する要求が申し入れられる。病院での勤務経験がなく県庁舎に日頃座して仕事をしている私にとっては、個別具体の事例をもって要求を突きつけられた場合、仮にそれが都合良く一事が万事のように語られたものであるとしても、論理的で説得力のある応答ができそうもない。要求と病院経営収支の改善をどのように折り合いをつけられるか、より効率的で低廉な対応案は無いのか、しっかりと抗弁できるようでなくてはならないとの意識が強まってきた。

(「病院局総務課9「病院へ泊りがけで視察に行く(その1)」編」終わり。「病院局総務課10「病院へ泊りがけで視察に行く(その2)」編」に続きます。)
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