新潟久紀ブログ版retrospective

ほのぼの愛車遍歴1「ヤマハ・メイト50」

 何かの用事で必要ということでなくとも、車輪を回して地を駆けること自体に魅了されるものだ。

 近所の幼児を真似てというのが入り口だったとしても、三輪車を与えられれば大喜びでまたがり、先ずは足で地をずりずりと蹴って進み、仕上げに後輪軸の台部分に乗ってドヤ顔をして、大うけの親から写真に収めてもらう…。
 小学生くらいになると、運転を出来もしないのに高性能な外車にあこがれ、現物見たさに輸入車ショウルームなどを徘徊するようになる。
 そう、生まれながらに人は"車を操り愛でる魂"を持っているのではないか。

 県職員勤務生活も最終盤に差し掛かり、あれこれと回顧録を書き出していたら、すっかり忘れ去っていた愛車たちが脳裏によみがえってきた。現役のプリウスとミラココア以外はすべて廃車で手放したものなので、ならば、せめてもの供養とばかり、つれづれ思い出すままに書き出して見るのもまた一興なのだ。

◇◇◇ヤマハ・メイト50 [昭和56年頃から昭和58年頃まで愛用]◇◇◇

☆街中暮らしで小中高校ともに近い自宅であり、自転車を使えばもちろん、雪の季節も徒歩30分圏内で何事も用が済んでいたので、どうしても必要ということではなかったが、高校一年生で友人がちらほらと原付バイクに乗り始めるとやはり気になるもの。早生まれだった私は年度末の誕生日に原付免許をゲットした。

☆友人の中にはヤマハRZ50とかいきなりストロングスタイルに入り込む者もいたが、昭和後半の柏崎高校は一応進学校でもあり温厚な生徒が多かったので、自宅にある親のバイクを共用するのが多かった。ホンダ・スーパーカブとかヤマハ・メイトなど郵便配達や出前用でお馴染みの極めて実用的な原チャリを転がしていた。

☆かく言う我が家も、私の原付免許取得を切っ掛けにして父が「ヤマハ・メイト50」の中古を手に入れてきた。本人は自動車販売の営業マンでもあったので専ら自動車を使っていたのだが、近所に出かけるときの下駄履き代わりに原付を利用するのが楽しみなようで、父が使わない時に私は乗って良いというのがお達しだった。

☆そうは言っても、父は平日は車で仕事に出回り、休日も接待ゴルフやら競馬やらと遠出していたので、原付バイクを使うことは殆ど無かった。なので、高校の放課後に海岸や郊外の店舗など出掛けるのに使う私の利用頻度は圧倒的で、燃費が良いので時折とは言え燃料補給も私がすることで実質"私の原チャリ"になった。

☆ヤマハ・メイトは3段変速であり、ハンドル操作のクラッチ無しに、つま先踏みとかかと踏みでガチャガチャと少し荒くとも変段できるのが魅力だった。スポーツタイプのつま先による引っかけ上げと踏み下ろしスタイルは靴の汚損が嫌だったし、"おっさんバイク"とは言われたが、せかせかしない悠然とした乗車姿勢も良かった。

☆私が高校生の頃は、ホンダ・ロードパルという女性狙いの極めて華奢な原付が火付け役となり、続いてヤマハ・パッソル、スズキ・ジェンマなど、女性が足を閉じて乗れるスクータースタイルが空前の大ヒットになっていた。更にお洒落かつスポーティに乗りこなすホンダ・タクトのTVCMなどが展開されたものだから、オイルくさい"男の世界"的なスポーツタイプのバイクに食指の伸びない若い男性達にも大いに売れた。

☆かくして、高校二年で洋楽趣味などの友とつるむと、私の"出前御用達おっさんバイク"のヤマハ・メイトと、お洒落で売れ筋ナンバーワンの赤いホンダ・タクトに、金属的排気音けたたましい走り屋向けヤマハRZ50という一体感の無い車両が並んで走ることになる。それがなんとなく中途半端な田舎の進学校生らしくて"ほのぼの"でもあったのだ。


(「ほのぼの愛車遍歴1「ヤマハ・メイト50」」終わり。続きは近くupします。)
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