新潟久紀ブログ版retrospective

ほのぼの愛車遍歴17「三菱・ギャラン・ヴィエント」(その6)

◇◇◇三菱・ギャラン・ヴィエント
 [1994年10月から2009年9月まで子育て時代を支えてくれた]◇◇◇

▼6トラブル続きの終盤(その2)
 バッテリーの上がった愛車ギャラン・ヴィエントは、ケーブルつなぎにより助けてもらってエンジンをなんとか回し始めると、山間の高原の高台に位置するホテルグリーンプラザ上越の門前からの坂道をゆっくりと下り始めた。
 国道までは下り坂なので慣性のみで進むからアイドリングで良いのではあるが、空のバッテリーによりエンジンがいつ止まるやもしれないとビクビクしていたので、終始アクセルを少し踏んでふかしてはブレーキを踏むということをしながら、祈るような思いでホテルの従業員が言っていたガソリンスタンドが早く現れないかとばかり考えていた。
 果たして、下ってきた細い坂道と国道との交差点の角にそれはあり、立っていたツナギ姿の従業員の傍ら目掛けてギャランを滑り込ませた。運良くほかに客の車はなく、修理用のガレージも空いている。バッテリー交換を速やかに対処してくれそうだ。
 窓をあけて事情を説明すると、「ホテルのフロントから事前に連絡がありました」と言うので話が早い。丁度ギャランに使えるバッテリーの在庫も有るということで一気に安堵のため息が出る。よろしくお願いしますと車を預けて家族4人で事務所待合スペースで作業の間を待つこととした。小学生の子供達は、つい今し方までいたホテルのような明るく賑やかな観光施設と対照的な、ガソリンスタンドの閑散さや油の臭いなど雰囲気の変わりように緊張しているようだった。
 更に私の携帯電話の呼び出し音が鳴り始めたので一同がビクッとする。発信者を見れば職場の病院局総務課。休暇中に電話とは穏やかでない案件だろう。電話に出ると「急にお偉いお方が大掛かりに金が掛かるような設備をとある県立病院に至急作れといった指示を出してきたのでどうしましょう」という相談。出物腫れ物所嫌わずということか。県庁から遠く魚沼地域のリゾート付近に夏休みで居る私には直ぐにどうこうしようが無い。今後調整を進めていくための情報集めや暫く時間稼ぎするための対処を伝達してとりあえず電話を切った。
 手負いの愛車で無事に新潟市に帰られるかどうか心配という状況なのに、ストレスを与えてくれる職場からの電話だったので、かなりシリアスな応答をしたために、側聞いていた子供達の緊張感を更に高めてしまったようだ。
 そんな電話のやり取りなどもあって待っている時間は思ったより短く感じられたようだ。ガソリンスタンドの従業員は時間帯のためか他には居ないようで、一人で修理や電話応対などしていたようだが、給油など手間と時間の掛かる車が入ってこなかったのは幸運だった。にこやかな接客顔で彼は私の元に来て説明を始めてくれた。
 「やはりバッテリー上がりでしたね。その他には不具合は無いようでした。修理代金は○○円になります。」
 修理してくれた目の前のこの人には感謝しかないのだが、車が万全の常態に戻ったと聞くと現金な私はハタと考えた。さして大金というほどの金額ではないが、この負担はハイハイと私が支払うべきものなのか。理屈屋の心根が騒ぎ出してしまったのだ。


(「ほのぼの愛車遍歴17「三菱・ギャラン・ヴィエント」(その6)」終わり。「ほのぼの愛車遍歴18「三菱・ギャラン・ヴィエント」(その7)」に続きます。)
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