穏やかな彼岸期間が経過しているように感じる秋分の日の前日ですね(^-^)
私は、今朝十数年前に彼方(あちら)に逝かれた姉のように慕い尊敬しているSさんに会いたたくなり心の奥で呼びかけてみました。
Sさんは、幼少の頃から想像を絶する経験をしながらも誰をも恨まず、明るくキャートな方です。
そういう方なので、誰にも愛を注ぎ受け入れてくれるのでした。
そして、亡くなり方もまるで忍者が消えるような方法でした。
きっとSさんは、ご自分の体の変化を察しながらも、誰にも伝えず彼方に逝かれたと私は思っています。
今、こちらにいられたらどんなに私は、甘えていただろと思うのです。
そんなSさんは、きっとあちらでもかなり高次元に逝かれているようで、私のような修練中の身では、なかなか繋がることなどできないのですが(^^;
お彼岸中のエネルギーの力を借りて呼びかけみました。
お墓や御仏壇の前は、繋がりやすい場所ではあるかと思いますが、その前に立つことで自分自身がそれまでの習慣や経験で神聖な気持ちになれるわけで、本来、どこでも自分自身が神聖になれれば、そこが彼方と繋がれる場所となると思っています。
本来、人はみな神聖な存在でありこちらで、日々生きているうちに、その外部的な環境に振り回され神聖さを押し込めてしまっているのだと思います。
ですから、本来どこにいても彼方に逝かれた方のエネルギーといつも、繋がれるはずなのです。
例えば、久しく会っていない家族や親しい人に想いを馳せれば、その人との思い出の中に浸れるのと同じなのです。
そして、彼方に逝かれた方との思い出に浸りながら、もう少し踏み込んで、語りかけてみると必ず何かの反応を感じたりするものです。
その方の笑顔が浮かんだり
何となく生前の声が聞こえたり、メッセージ性のある画像が贈られてきたり
(  ̄▽ ̄)
それがあちらからの、反応なのだと思うのです。
Sさんの話に戻りますと
声も顔も浮かばなかったのですが、息子さんの名前が浮かびそこに生まれ代わって来ていると伝えてくれたように感じました(^-^)
その息子さんに対する愛情がとても深かったのは、いつも感じていましたから
きっと、孫となって生まれきたのかもしれません。
違っていても、私には嬉しいお知らせでした(^^;
転生には、こちらの時間で500年ほどかかるのだと聞いたことがありますが、特別な配慮がされる場合もあることもあるとか?
いつか、その息子さんに会いに行ってみようかななどと思いながら、なんとなく安堵を感じる時間でした。
孫となって幸せそうに甘えているSさんの姿が浮かび嬉しくて涙が浮かびました。
実はSさんは、母親に置きざりにされた経験を持ちながらも高齢になったその母親を引き取り愛情を込めて介護し、その途中で彼方に逝かれたのでした( ̄ー ̄)