必要な時をかけて、自己と繋がりながら不要な事象や思いを手放して行きますと何にもこだわらない、執着しない自分に自然となって行くようです
、、
そこまでになるとそれからは、手放した事象の新しいバージョンがやってくるのかもしれません。
それも、無理せずとも偶然のように必然がやってくるように思います。
例えば、人間関係などでは、より今の自分に合う価値観を持った新しい友人などができたり、仕事や働き方を変えたことにより時間のゆとりができて、自然や趣味と向き合える時間が増えたり、、
自分のネガティブな思いグセを手放したことで、他者への見方が良い方向になったり、上手く行かなかった人間関係や家族同士がまとまるようになったり、、
居づらかった土地を離れることで新しい土地で安心して生活ができるようになったり、、
様々な良い変化が起きて行くように感じます。
私は、これと言った大きな変化はありませんが、駆け抜けて来たような人生がゆったりのんびりとして来ていて、それを楽しめるようになって来ています。
ああしなければ、こうでなければなどの思いグセを手放したからかと思います。
一つ手放すと次に手放すものが解るようになり、それを繰り返していると手放しが修了したと感じる感覚が湧いてきます。
その感覚が心地良いために、その状態を維持したいと思うようになります。
それが修了のサインかと思っています。
この広々としたどこまでも続く自由な意識の世界を経験しますと、現実世界のいろいろな枠や仕組みがいかに、多くの自由を奪っていたかが見えて来ます。
その枠や仕組みが守られていて安心だと思っている人は、手放しなどということに意味を感じることはないでしょうし、それそのものが人生であると捉えているのだと思います。
三次元世界とは、そうした世界での学びですから、、
しかし、手放しをして行く方を求め実践して行く人は、5次元世界という、より個々を尊重した愛で繋がる世界を探求する人であるかと思います
。
どちらを選択するのも自由であり、それにより見えてくる世界も異なって行くのだと思います。
どちらの選択にしましても、
自己と向き合う中で自己に正直であることが必須かと思います。