感謝される側、感謝する側のどちらの気持ちも理解できるようになった私でしたが、それは仕事を通しての事であり、日常生活の中ではまったくしていなかったのでした

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例えば、自然の豊かさに包まれていることや毎日朝を迎えられることや仕事ができることや家族がいることや友人がいることや様々な人と会話できたり関わることができることや毎日食事できることや、、
、当たり前過ぎて感謝していなかったのでした。
この当たり前のことに感謝するようになったきっかけを知るようになったのは、10年以上も前のある人との出会いからです。
その方は、共に出かける場所で関わる人には、愛くるしい笑顔で「○○さん、ありがとう、、」と片手を軽くあげて心を込めて感謝を述べるのです。
その当時の私は、お客の側が何で感謝しているの?なんてことを思うくらいの恥ずかしいほど貧しい状態でした
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そのような場をたくさん経験しているうちに、次第にその「感謝する、されたという場」の波動の心地良さを感じとれるようになりました。
心をこめて「ありがとう」と相手に伝えると受け取った側にあたたかい波動が伝わりそのハートにあたたかさが点滅する、、人のハートの中にはそのようなシステムと言いますか装置が、備えられているのでしょう、、
そのように神様が創造されたのだと思います。
そのシステムをその人の行為からようやく、思い出した私は、それからそのように日常生活の場でも感謝の言葉をたくさん伝えるようになりました。
その後、仕事も退職して自己磨きに専念するようになると
宇宙の創造主やその創造物にも深い感謝の念を持てるようになりました。
そうしたことは、日々のブログにも書いて来ているところですが、、
自分がこの地球に生まれて来て生きていることを追求して行くことで、自分という人間の傲慢さを深く反省したところが感謝の原点になっています。
つまり、ここに自分の意志で生まれて来ることを決意して宇宙の源にお願いして許可され来れているということを理解すると、地球をはじめ宇宙のその偉大さ完全さそのものに感謝せざるを得ないわけです。
今は、人生の経験を通してこの宇宙のすべてに感謝するためにここに存在しているように感じます。
この世界で生まれた土地を離れ、見知らぬ土地で故郷を思うならきっと、その故郷の家族や幼なじみや山や海や川などの自然を想い感謝するはずです、、
きっと、そのようなことなのだと思うのです、、
