黒田晴美の子育てとコーチングと「わたし」

神戸でコーチをしている黒田晴美です。子育て中のママや夢に向かって一歩踏み出したい方のサポートをしています。

★幸せのおすそわけ[11]母の背中

2010年03月04日 |  青い鳥が運んできた90のストーリー
★幸せのおすそわけ[11]青い鳥が運んできた90のストーリー


今日は私がまだ20代前半だった頃のお話。

私の実家は山手のほうにあって、最寄駅にいくまでにはバスを利用します。
その日、私は外出するため、母とふたりバスに隣合わせに座っていました。
その頃、仕事の関係で実家を出て生活していた私には、
母と一緒に実家からバスに乗るというのも、
母とゆっくり話すというのも久しぶりのことでした。
といっても、格段盛り上がる話題もなく、それでも窓からの景色をみながら
「このあたりも変わらないね~」とか、
「この間、晴美の同級生の○○さんのお母さんにばったり会ったんよ」
とかいうまったりした会話をしていました。

「あっ、ちょっと待って」
と、突然母が会話を遮り、立ち上がりました。
どうしたのかと思って、驚いて母を見上げると、
母は見知らぬおばあさんに席を譲っていました。
突然の母の行動に、私は少し焦りました。

「お母さんいいよ、私が立つよ。私の方が若いんだし」
「かまへん、かまへん。あんたは座っとき。」
隣のおばあさんに会釈されつつ、
私が奥の窓側の席に座っていたこともあり、浮かしかけた腰をそのまま下ろしました。
駅へ向かうバスの中は、いつの間にか立っている人でいっぱいになって、
山手を行くバスは曲がりくねった道を進んでいきました。
私も学生の頃、毎日通ったバス道です。

途中の駅前のバス停でおばあさんがお礼をいって降りられて、
車内も急にガランとしたのを待って、母はまた私の隣に腰を下ろしました。

「話の途中で急に立ち上がるからびっくりしたわ」
「この系統、駅に行くからいっつもこの時間帯、混むやろ?
 それに山道で揺れるから、お年寄りの人とか大変やん。」
「いっつも、席譲ったりしてるん?」
「そうそう!あんたの友達の○○くんとこのおばあちゃん、
 お母さんが仕事行くときに、いっつも病院行くのにあそこのバス停から乗ってきはるねん。
 だからな、お母さん、自分が座れるときは座って席をとっておいて、
途中からおばあちゃんに座ってもらうねん。」
「だけど、お母さんもこの間からまた膝痛いってゆうとったんちゃうん?」
「何ゆうとん。○○くんのおばあちゃんにくらべたら、お母さんでもどんだけ若いと思うん!」
そういって笑う母。


お年寄りや体の不自由な方には席を譲りましょう

私自身もそうあるべきことと、思っていることでした。
だけど、私はそのとき、おばあさんの存在に気づきもしなかった。


私の母は貧しい家に生まれ育ち、学歴もなく、本も読まない。
当然、知っている知識も少なく、華やかな場に慣れてもおらず、
テーブルマナーも身についていなかったり・・・
私自身が成長し、自分の世界が広がっていくにしたがって、
そんな母を心の中でどこか恥ずかしいと思っていました。

もうっ!お母さんってどうしてこんなことも知らないの?!
こんなの常識やん!

常識?
常識って何?

バスの中には、母よりもずっと身なりのいい人もたくさんいました。
母よりずっと品が良く、社会的地位も高く常識もあると思われる方も。

私自身、自分のことをそう思っていたと思います。
私は、母とは違う、と。
母のようにはならない、と。


だけど、混みあうバスの中でおばあさんに気づき、真っ先に行動した母。
自分のしたいことを躊躇せず実行した母。
そして、それを当たり前のこととして、決して奢らぬ母。

いつも人に頭を下げてばかり。
馬鹿にされても、常に腰を低く通ってきた母。
それでも朗らかに笑っている母。
母の本当のすごさを見た気がしました。


私も、そんな母の娘。

そのことがあってから、電車やバスの中では以前にも増して、
すすんで席を譲るようにしています。

それは、母の背中に教えてもらったことだから。

そして、子どもたちと一緒の時も「席を譲りなさい」と教えるのではなく、
私が自ら席を譲ります。

うちの子どもたちも大きくなるにしたがって、
親のことがどうしても嫌になったり、許せなくなったりすることがあると思います。

それでも。
こんな私の背中から、伝えられることがあるのを信じて。