人は一人では生きられない、生かされている・・のだと
誰かが言っていた。
四時AM近くに無理に布団に潜り込んだ。
目が覚めたら5時半AM。1時間半~2時間近くは眠れたようだ。
普段から「目が覚めたら布団からでる」習慣で、起き出した。
外はまだ暗い。近頃近所の鶏が鳴かなくなった。
鳥インフルエンザを気にして飼うのを止めたのかしら?
そういえば、午前0時になると犬の散歩をさせている、道を隔てた
向かいの家も、近頃散歩をさせていないのか、鳴き声が聞こえない。
詳細に気配りしていると、回りが少しずつ変化していることに
気付く。人は案外知らぬ顔をして、人のことを見ているものなのだ。
つい、この前も、シンビジウムに水遣りをしていたら、50代半ばの
サラリーマン風の男性に「君子蘭の置き場所は何処がいいですか?」
と、尋ねられた。
何時も見させていただいています・・だと。勿論、花に関すること
・・でしたが。
さて、生かされている自分。僕が生きている内にするべきことを
し終えたら、アッという間に死んでしまうかも知れない・・・と
僕は何時も思っています。
年と共に感じる「死への見えない恐怖」の裏返し、かも知れません
まだまだすべきことがある・・だから「生かされている」
「一筋の光」・・この先にある問題が解決すると、僕がこの世でなす
べきことはもう何も有りません。
したいことと、なすべき事とは違うのです。したいことはまだまだ
沢山有りますが、なすべき事は有りません。
亡くなった両親は長生きな方で共に90歳近くまで元気でした。
代々長命とはならないのが世の常です。
時刻はAM6時半、福岡の今日の日の出は6時49分。そろそろ東の空
が白み初めてきましたね。遠くでカラスが鳴いています。
OEを開いてみたら、待ち人からのメールが届いていました。
時刻は3時31分AM・・とありました。
僕らの経験からして、そんな時間まで飲む相手は、友人か合コン
の流れでしょう。会社の人間同士だと、明日の仕事を考えるから、
そんなに遅くならない時間で切り上げますからね。
それだけ元気になったと、受け取るべきでしょうかね。