皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

皇室について論じることの苦しさ

2005-07-22 00:55:38 | 筆者のつぶやき
皇室について、あれこれと論じることにつき、筆者は、最近、胸の奥に苦しさのようなものを感じることがある。
世間での皇室をめぐる議論を見るにつき、物足りなさを感じ、真実はこういうことなのではないかという思いから、今まで、夢中で書いたりもしてきたのだ。
ここで、「真実」ということを述べたが、一口に「真実」といっても、それは多面的ではあろう。
筆者が言いたいのは、日本人の一人として見落としてはいけないはずの真実ということであり、筆者としては、皇室というお立場にある方々に対しての、人間としての共感ということが、大きな問題意識としてあったのだ。
このことは、今でも間違いではないと思っているが、ただ、こうして書き連ねていくうちに、どうしても、筆者自身のみすぼらしさというものを痛感してしまうのだ。
筆者自身、決して、高尚なことばかりを書くことが似合うような人間ではないのである。
ただ、つまらない存在としての自分に安住し、そのような自分の視点でのみ皇室を眺め、皇室を論じるということについては、結局、皇室というご存在を自らの次元に引き下げることになるようにも思われ、やはり、有意義とは思われない。
そこで、このような細々としたブログといえども、かなり無理をしながら書いているのである。
ただ、このように考えてみると、皇室に対して叱りつけるような物言いを行う者、しかもそれで生活の糧を得ているような者については、筆者としては、いよいよ理解不能である。
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9 コメント

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訂正 (中野正)
2005-07-27 22:25:23
 冒頭部分の「違憲」は「意見」の間違いでした。

 ほかにも、毎度アバウトな誤字脱字ばかりですみません。

 なにせ、酒を飲みながら書いていますので。また。正規な論文を書くより、「落書き」は、結構楽しいものです。

 無責任やむきだしの感情論は過ぎではありませんが。

 西田さんとは、会うことなく、しばらく本音を記述していったよいかな。

 私は、現在五九歳ですが、お説教は大嫌いですが、年寄りでもフェアな論争はとても好きです。

 かつても言いましたが、間違っていたら、老若関係なく、耳を傾け、なるほどといえば良いだけ話ですから。
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またまた追伸 (中野正志)
2005-07-27 22:04:59
 なんだか、最近、西田さんのプログを通したやりとりが楽しくなりました。

 基点は違うけれども、共通項がある人と面識もなく、誠実に違憲を好感していくことは、自分の考えをまとめ、論争を考え直していくうえで、とても有益な気がしていますからです。

 そこで、追伸。

 私は、最近、皇族の方々の歴史認識をぼちぼち検証しているのですが、奇妙なことに気付きました。

 現明仁天皇の戦後民主主義観は、かつて天皇制を批判してきた作家の大江健三郎氏とそっくりなのです。

 また、美智子皇后が感化を受けているのは、精神科医かつ高名なエッセイスト神谷美恵子さんと詩人のまどみちおさんです。彼らは、天皇制に対する批判派ではありませんが、純粋なリベラリストです。

 さらに、皇太子の歴史史観で感化を受けてきたのは、著名な中世史学者で天皇制を批判し続けてきた網野善彦さんです。雅子さんもかつて愛読書として大江健三郎の本を上げ、宮内庁周辺からたたかれたのは、ご記憶に残っていると思います。

 また、秋篠宮が歴史史観として影響を受けたのは、哲学者である鶴見俊輔の従兄弟の故・鶴見良行氏です。彼は、ベトナム戦争に反対したかつてのベ平連の一員です。

 私が個人的に私淑している鶴見俊輔氏は、かつては天皇制を批判する側でしたが、今は「平和を愛する人として、現天皇家を認めざるをえない」との発言に変わりました。

 二十七日の朝日の文化面での「論壇時評」でも、革新に立つ舌鋒鋭い経済学者の金子勝氏が、「気がつけば、皇室が憲法改正の最後の歯止めになっている。何という歴史の皮肉であろうか」と述べています。彼は個人的には好きではありませんが、その指摘は正しい。

 そのくせ、かつての民族派の方々は、歴史認識について、教条的な立場にこだわり続けています。ひいきの引き倒しになっているのに、私のつたない取材よれば、現実認識に置いて、彼らは現皇族たちから見放されているという自覚もありません。彼らはイデオロギーに固執する余り、皇族側からみても、迷惑千万な「反動分子」でしかなくなっています。そのことについては、彼らは未来のの日本のあり方について「有害」でしかないとの言葉を某皇族からはっきり聞きました。彼は「妄想の体系は迷惑だ」と断言しました。

 私は多少でしか現皇室との付き合いでしかありませんが、彼らは民族派の方々には完全に距離を置き、信頼していないという感触は得ています。自分のイデオロギーを皇室に押し付けていることについて、皇族方は困っておられることぐらいは、民族派の方々も理解すべきではないでしょうか。その程度の謙虚さをなもてない人は「尊皇派」に値しません。

 一水会の鈴木邦男氏ぐらいのフェアな認識に立たないかぎり、もはやイデオロギーに固執する民族派は生身の皇族に乗越えられたと判断するしかありません。

 てなことをまた、酒飲みついでに書きました。支離滅裂の部分はご容赦を。

 「落書き」だからいいよね。

 
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論点整理について (西田瓜太郎)
2005-07-27 21:21:31
実は、今朝早い時間に記事を載せたものの、少々見直すべき必要があるのではないかということから、一旦削除したのです・・・。
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有識者会議の論点整理について (中野正志)
2005-07-27 19:26:41
 二六日の有識者会議での論点整理について、朝、「価値中立的でもの足りない」との感想を述べられていましたが、消えていましたので、私見を述べます。

 私は、この手順が全く正しいと思います。むしろ、今の段階で有識者がそれぞれの私見を述べるべきではありません。

 「専門家」と称する方々の意見をまとめて、価値中立的に国民に提示するのが最初のステップになります。なぜなら、「専門家」と称する意見を聞いたのに、それを反古にしてそれぞれの意見を述べ始めたら、「専門家」はなんのための意見聴取かと怒るでしょう。また、論点整理は、国民にも皇位継承問題の難しさを多少は啓発するきっかけになるからです。

 今後、国民の議論を喚起し、慎重に議論を煮詰めていく手順が大切でしょう。さらに、インターネットを通して、各国民の意見を聴取することになっていますから、余り彼らを焦らせるのは、賢明ではないと思います。今の段階で私見を列挙したら、収拾がつかなくなるでしょう。

 ただし、マスコミの感度の鈍さは驚くべきものがありました。とくに朝日はひどい。私から言わせれば、ニュース価値は「両論併記」などにはありません。私が書いたのなら、本記は「有識者会議、典範改正で合意」、解説は「皇族の苦境を認識」になるでしょう。まあ、読売だけは多少ましでしたが。

 ここで、さらに一歩踏み込みます。

 仮に、旧皇族復帰による男系男子継承にこだわると、結局、現皇族の戦後の努力は水の泡と化し、天皇制度はやがて廃絶される運命にあります。

 理由は簡単です。象徴天皇は、現憲法の第一条で「この地位は、主権の存する国民の総意に基く」とあり、第二条は「皇位は、世襲のものであって」とあるのはご承知の通りですが、もし、仮に六百年近く前の男系男子でしかつながらない人が皇位を継承したとしたら、完璧に違憲状態になってしまうからです。

 世論も国会議員も当てにはできませんが、それでも目下の世論の八割以上が女性天皇容認を占め、読売が三年前に国会議員のアンケートを求めたところ、八八%の議員が何らかの形で女性天皇に賛成しています。その世論を乗越えて、男系男子説にこだわり、国会で養子採用説で強行採決したら、恐るべき状態に見舞われるでしょう。

 目下は、現天皇夫妻の努力のせいもあり、憲法学者は天皇条項は法の下の平等を定めた第十四条の「飛び地」であるといった点で合意せざるをえなくなっています。小嶋和司のような憲法学者の「世襲には男系男子が含意される」という理解は少数派でしかありませんでしたが、六百年前の血筋で男系男子を認めることになれば、もっと近い男系男子でつながっている人は一万人は超すでしょうから、だれが「正統」なのか収拾がつかなくなります。

 また、大嘗祭への公費投入ですら、様々な訴訟が起こされてきたことからみると、六百年前の血筋でしかつながっていない人が養子採用で天皇になった場合は、その「「正統性」と公費投入をめぐって数百の訴訟が起こされるはずです。

 現憲法下では、「養子採用は違憲」との判決がでる可能性が大ですが、仮に最高裁が合法だとの結論を強引に導いたとしても、その間、大変な時間がかかるでしょう。また、、現皇室の「正統性」そのものが疑われかねません。なぜなら、明治以来、南朝が正統だと認められてきたのに、現皇室は北朝出身だからです。だったら、世論は確実に天皇制度の廃止に傾くはずです。

 つまり、男系男子説にこだわればこだわるだけ、現皇室家そのものの「正統性」を否定することにかりかねません。そうした逆接に男系男子説論者はなぜ気付かないのか本当に不思議です。朝日を筆頭にしたマスコミもなんてアホかと思うしかありませんけれども。

 ついでに「伝統」について、少し前に私見を述べましたが、つい最近優れた本が刊行されました。学習院大名誉教授の諏訪春雄著『日本王権神話と中国南方神話』(角川選書)です。これは、最新史学を踏まえた出色の著書です。

 最終章をお読みいただければ、分かると思いますが、一九八ページで「今、女帝問題が騒がれていますが、日本は本来、女帝の霊力に依存して存続した国であったことを考えねばなりません」と述べています。

 天照大神を信じているはずの民族派の方々が、男系男子にこだわり、女系をなぜ、否定しているのかも私にとっての七不思議の一つですねえ。





 
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力ある言葉 (西田瓜太郎)
2005-07-26 01:23:10
あの方が、社長賞ですか。

他人様の婚約をスクープすることにつき、どれだけの社会的意義があるのだろうかと思いますが、それでも現在の日本のメディアとしては、極めて重要なポイントではあったのでしょうね。

私としては、そのようなスクープよりも、人間の心の中の真実を、皆が知ることにより幸福となれるような真実を発見することの方が、重要であると思いますが。

この点、中野さんのコメントにおける、皇太子妃殿下に対する見方について、私は大いに共感します。

妃殿下の適応障害については、皇室というお立場を真剣に考えられているからこそだと思います。

何の問題意識も感じないような人であれば、そのような苦しみを覚えることは、無いはずだからです。

また、今回、「僭越な言い方になりますが、私は最近、むしろ、なぜ人は「適応障害」にも陥らずに生きていけるのか、不思議だなあと思うようになりました。その途端、自らの完治を望まなくなったのです。ある種の勇気も沸いてきました。」という言葉には、とても感銘を受けました。

一読して、心の中に響くものがあり、そして、考えれば考えるほど、奥深い言葉だと思います。

自分自身と周りの世界との関係につき何やらもやもやとした気持ちを抱いている者にとっては、目から鱗であると思いますし、現に苦しみを感じている者にとっては、救いの力を持つ言葉だと思います。

大げさに言っているのではなく、実際に、そのように感じるのです。

このような考え方が広まれば、世の中は、かなり良くなると思います。
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「適応障害」について (中野正志)
2005-07-25 17:55:37
 私も、別に日常的に平和や「イラク・アフリカ難民」の問題を考えている訳ではないのです。

 でも、年をとるに従って、とりあえず平和な日本に生まれてきたことを有難いと感じ、忘れ去られていった過去の戦争での犠牲者たちの気持ちを少しでも共有できたらといった気持ちが深まっていくようになりました。

 また、自分自身が「適応障害」に陥ることによって、美智子皇后や雅子さんの苦悩が理解できるなりました。

 例えば、硫黄島を訪れた際の美智子皇后の御歌。

 「慰霊地は今安らかに水たたふ 如何ばかり君ら水を欲りけむ」

 あるいは、植樹祭に詠んだ歌。

 「初夏の光の中に植木植うる この子供らに戦あらすな」

 紀宮が婚約が決まった際に述べているように、美智子妃の精神的な病はまだ、完全には癒えていないと思います。

 雅子さんの「適応障害」も完治することはないと思います。

 僭越な言い方になりますが、私は最近、むしろ、なぜ人は「適応障害」にも陥らずに生きていけるのか、不思議だなあと思うようになりました。その途端、自らの完治を望まなくなったのです。ある種の勇気も沸いてきました。

 そして、かつて失語症に見舞われた美智子皇后の「優しくありたいと願いながら、疲れや悲しみの中で、堅く、もろくなっていた自分の心を恥ずかしく思い」という言葉が、胸に響いてきました。

 優等生であった雅子さんも、自らの「適応障害」と向き合いながら、試練を続けて将来、信頼される皇后なられることを私は確信しています。だからこそ、美智子皇后は干渉せず、黙って見守られてあられるのでしょう。

 これらは、程度の差は大いに違いますが、多少なりとも他者のことを真剣に考えていく側の宿命だと私は考えるようになりました。

 そうした資質を持つ女性をパートナーに選び、政治的な発言にならない程度に彼女をかばった皇太子も立派だなあと思います。美智子さんの子育ては見事に成功したといえるのでしょうね。

 このことは、二、三十年先にならないと、国民には理解し得ないことのように思われますが。

 ところで、紀宮の婚約をスクープした某皇室担当編集委員が社長賞を受賞しました。随分配慮に配慮を重ねて取材したようで、本来は祝福すべきことなのでしょうが、へそ曲がりの私から見ると、もっとやるべきことがあるんじゃないの言いたくもなりますけれど。

 朝日幹部の方には、またも暴言ですみません。



 

 

 

 
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ありがとうございます。 (西田瓜太郎)
2005-07-25 00:44:59
講義お疲れさまでした。

平和という問題については、一般に政治的なテーマとして論じられることが多いように思われ、そして、政治的なテーマとして語られる場合、最近は、戦争を安易に肯定することが、どうしても多くなる傾向があるようにも感じますが、それだけでは、不十分なのでしょうね。

この点、「明仁天皇夫妻の平和への祈願、ご努力」のお話、そして、このお話について、人間としての共感の輪が生じたというのは、意義深いことですね。

皇室問題を考えるということと、各人の生き方の問題ですが、やはり、これはなかなか深い繋がりがあるように思います。

私の経験でいいますと、皇室について考えておりますと、だんだんと、人間というものが、他者や外部の世界との関係性の上で成り立つ存在であることが実感され、そしてそれに伴い、自分自身、その関係性について甚だ無自覚に過ごしているということを、改めて痛感させられるようになってきました。

皇室は、日本の象徴という、国民との関係性に基づくお立場で、お務めを日々果たされておられたのにもかかわらず、私の立場としては、あくまでも無数の国民の中の一人であり、かつて、皇室との関係ということについては、ほとんど自覚することがなかったということを実感したからです。

自分自身と皇室との関係の自覚については、今でも、まだまだ不十分だと思いますが、このことは、世の中を見る目、そして、自分という存在を見る目を変える契機になったと思います。

ただ、こうして考えてみると、当たり前のように日々を過ごしている中で、見落としてはいけないものについて、とんでもなく無自覚な状態で生きているのかもしれないという、何とも言えない不安感といいますか、胸騒ぎのような感覚を覚えることがあります。

「イラク、アフリカ難民」の問題など、まともに考えれば、実に悲惨で放ってはおけない問題のはずなのですが、私も、日常的には、ほとんど考えることなく、無自覚に生きております。目先のつまらない心配事で頭がいっぱいになり、後は食べて寝るだけの人生なのです。

私のような者が、あれこれ考えてもほとんど意味はないのですが、それにしても、あまりに、世界に対して無自覚に生きているわけです。そして、このことは、自分自身という存在に対する無自覚なのではないかと、そのようにも思われます。

これは、なかなか恐ろしいことのように思われてきました。

ところで、朝日新聞社における中野さんのお立場ですが、私も、「ここまで書いてしまって、何か言われたりしないのだろうか」と心配になったことが、実はあります。ただ、当然のことながら、組織人としての信義に反するような内容は一切ありませんでしたし、心配するのも、返って失礼になるのではないかとも思っておりましたが・・・。

それにしても、随分とつまらないチェックをするものなのですね。
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追伸 (中野正志)
2005-07-22 21:03:31
 私は津田左右吉のような思想としての「万世一系説」を否定しません。あらゆる思想は自由であるべきですから。

 「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史観も、余り感心はしませんが、そうした歴史認識があっていいと思っています。近隣諸国との約束事があって、まあ「自虐史観」について過剰なアレルギーを起こすような言い方は、賢明とは思ってはいませんが、彼らの言い分にはそれなりに傾聴すべき余地があると考えていますから。

 実は、私が論説委員を離れた最大の理由は、朝日新聞がヒステリックに「新しい歴史教科書をつくる会」を弾劾し続けたことにあります。私は、思想の自由から見て、彼らの言い分にも傾聴すべき余地があると言い続けてきました。でも、多勢に無勢。朝日のマインドコントロールを受けた若手の論説委員は、聞く耳を持ち得ず、私は弾劾され続けました。彼らに対しておおよその見当はついていましたから、怒りはなかったのですが、彼らの優等生ぶりに改めて失望を確認しました。

 私は、かつて全共闘運動に携わった男ですが、内部でもかなり厳しい批判は続けてきました。

 私が一番嫌いなのは、かつての全共闘だけではなく、右翼も含め、時代迎合主義とお利口さんという処世術を身につけた思考停止の人間たちです。

 このプログのコメントについて、朝日の某管理職から社内情報を漏らしているから、できれば止めてくれと言われましたが、「言論の自由」を重んじる側であれば、その助言は認められないと答えました。朝日の人間もなんと様々なチェック機能を果たしていて、心から感心しましたが。

 私が何をこのプログで言おうと、たいして朝日という組織が傷つく訳でもない、そんな言論が不自由な職場であれば、私は即刻退社しますと述べたら、黙ってしまいましたから、まあしばらくは感想を書き続けます。

 西田さんも、頑張って下さい。

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その視点こそが大切です (中野正志)
2005-07-22 20:02:26
 私は、札幌のカルチャーセンターでの講義から戻ったばかりですが、明仁天皇夫妻の平和への祈願、ご努力を述べたところ、何人かの受講生は涙を流されていました。

 僕らはみんなつまらない人間です。そうした人間たちが、皇室の問題を通して、共感し合える回路があるのは、とても貴重だと思っています。

 特権的な論者ではない私のような平凡な人間こそ、素朴な視点から、一人では生きられない「共同性」の回路を考えていくことが大切だと思います。

 民主主義はいままで、人は対等という平板な枠組みでしか論じてしかこれなかった、その限界を現皇族それぞれが自らの実存を賭けて、大きな問いを国民に投げ出したような気がします。

 その問いかけに答える義務が我々国民にはあると思います。

 ところで、毎日の一面の記事は確かにつまらなかったですね。

 私は、朝日より毎日にシンパシーを感じて、毎日幹部の方々にしっかりして欲しいと励まし、勉強会でも話してきたのですが、なんだか、がっかりしました。

 皇室問題で「生活の糧を得ている」学者やジャーナリストは、私も軽蔑します。我が社の人間を含めて。

 西田さんが言われるように、実は皇室問題をきちんと考えていくことは、私たちがどう生きていったらよいのかという設問に通じる問いだと考えています。少し、傲慢な言い方ですけれども。

 自分の生き方を正面から問いかけても、なかなか正解には近づけません。一見、立場を異にした方々について想像力を駆使することによって、「私は何」という設問に近づけるような気がするのです。人間には、そんな迂回路が大切なのではなのでしょうか。

 それは、イラク、アフリカ難民について、彼らの立場だったらどう思うかという、観念論ではない、実感に通じる道筋だと私は考えています。

 人間、逆説の連続ですね。西田さんも私も、互いに挫けず、傲らず、これからの日本の進路について真剣に考え抜いて生きたいものです。

 まあ、我々ができることはたかがしれているようには思いますが、それが人生、されど人生なのですから。

 以上。

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