皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

有識者会議の報告の違和感

2024-05-14 22:21:14 | 皇室の話(3)
令和3年12月22日付け「「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議」の報告を読んでみた。


この手の報告を読んだ場合の感想というのは、読み手のもともとの考え方に基づく見方が反映されがちであろうし、筆者はこれまでの記事でも明らかにしているとおり男系継承の重視に反対の立場であるので、筆者の感想というものが、ある程度偏見に基づくものであるということは、予め認めておくことといたしたい。

ただ、その上でなお、以下に述べる事柄については、中立的な立場の方々においても、違和感を生じることとなるのではないだろうか。

1 政治家の名前が何回も登場
この報告を読み始めて、最初に感じたのは政治家の名前が目に付くなということである。
1ページ目に「菅義偉内閣において、・・・設置されました。」、「岸田文雄内閣において会議は再開され」とあり、4ページ目に「菅義偉内閣総理大臣・加藤勝信内閣官房長官御出席の下、議論をスタート」、5ページ目に「岸田文雄内閣総理大臣・松野博一内閣官房長官御出席の下、・・・議論を再開し」といった具合である。

会議の性格を明らかにするために、内閣総理大臣決裁で開催といった説明をする必要はあると思うのだが、なぜこんなに名前を記載するのであろうか。

とりわけ、この議論が皇室制度に関わるものであるということで、党派性を超えて行われるべきものという考えに立つのであれば、個々の政治家の名前を出さない方がよいのではないかと思われる。

このことについての説明としては、責任の所在を明確にするため、といった理屈になるのかもしれないが、そうであるとすると、今回の報告の内容は、有識者主導で取りまとめられたものではなく、これらの政治家主導で取りまとめられたということなのだろうか。

報告の概要には、「今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、次世代の悠仁親王殿下という皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない。」ということが書いてあるが、あるいは、「ゆるがせにはしない」ということの保証人として名前を列挙しているということなのだろうか。

2 皇位継承について議論について「機が熟しておらず」という認識でよいのか
6ページ目の最後の方に、「悠仁親王殿下の次代以降の皇位の継承について具体的に議論するには現状は機が熟しておらず、かえって皇位継承を不安定化させるとも考えられます。」とある。

この表現には、巧妙な不誠実さというものを感じさせられてしまう。
皇位継承の在り方の議論というのは、「機が熟しておらず」どころか、むしろ反対で、あまりに遅く時機を逸しつつあるというのが実態なのではないだろか。

平成の一桁の時代において、このままでは皇位継承資格者の確保が厳しくなりそうだという感覚はあったはずであるから、できれば、今の天皇皇后両陛下の御結婚前に議論を済ませておくのが理想であり、遅くとも次の世代の方々が幼少であるうちに済ませておくべき議論であったろうと思う。

それを「機が熟しておらず」とは何事かという気になるのであるが、よく読むと「悠仁親王殿下の次代以降の皇位の継承について」という言い方で、悠仁親王殿下までの皇位継承は確保されているのだから緊急性はないという主張であるようにも解される。
なかなか功名である。

ただ、そうだとすると、続く「かえって皇位継承を不安定化させるとも考えられます」とはどういうことなのだろうか。

本当に悠仁親王殿下までの皇位継承が確保されており、皇位継承の在り方については、悠仁親王殿下の次の代についての問題として考えればいいと認識しているのであれば、今から議論を行うことに何の問題があるのだろうか。

この議論についてある程度の年数を要するとした場合、悠仁親王殿下は現在17歳でおられるのだから、早めに議論の決着をつけておかないと、悠仁親王殿下の御結婚の時期に間に合わない可能性もあるのではないだろうか。

悠仁親王殿下の御結婚相手にとって、男系男子維持のために男子を産まなければならないのか、それともそういった産み分けは不要なのかといったことは、大きな問題であると思われる。

御結婚はなかなかハードルが高いと思うのだが、その実現のために、決着をつけないままで良いことは何もないのではないか。

それで、結局のところ、この文章における「かえって皇位継承を不安定化させるとも考えられます」の箇所というのは、現時点で皇位継承の議論に手を付けると、愛子内親王殿下に皇位継承させるべきという意見が抑えられなくなり、悠仁親王殿下への継承という道筋が危うくなるという意味であるようにしか考えられない。

そうであるとすると、文章の趣旨、切り口が途中で変わっているということであり、筆者としては不誠実さを感じてしまうのである。

3 悠仁親王殿下とその御結婚相手のプレッシャーは大変なことになる
7ページ目の最初に「悠仁親王殿下の次代以降の皇位の継承については、将来において悠仁親王殿下の御年齢や御結婚等をめぐる状況を踏まえた上で議論を深めていくべきではないかと考えます」とある。

続く段落において「まずは、皇位継承の問題と切り離して、皇族数の確保を図ることが喫緊の課題であります」とあるので、今回の報告で示された方策が実現したとして、皇族数の増にはなるとしても、皇位継承資格者の増にはならないということのようである。

であるとすれば、将来の悠仁親王殿下とその御結婚相手のプレッシャーは大変なものであろう。
「御結婚等をめぐる状況を踏まえた上で」という言い方というのもどうなのだろうか。
御結婚できなかったから仕方がない、御結婚しても男子を産めなかったから仕方ないという認定の上に議論を開始するというのは、あまりにも残酷な責任の負わせ方なのではないだろうか。

4 皇位継承の問題と切り離すというのは本心なのか
7ページ目のところで「まずは、皇位継承の問題と切り離して、皇族数の確保を図ることが喫緊の課題であります」とあり、「皇族数の確保」について議論したものであるという前提の下で具体策の話になっていくのであるが、9ページ目において、以下の三つの方策が示されている。

① 内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することとすること
② 皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とすること
③ 皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族とすること
これらを読んで最初の違和感は、②と③について、皇位継承の問題と切り離してということであれば、なぜ「皇統に属する者」ではなく「皇統に属する男系の男子」という限定を付しているのだろうか、ということである。

このことの説明は11ページ目に「皇族が男系による継承を積み重ねてきたことを踏まえると、養子となり皇族となる者も、皇統に属する男系の男子に該当する者に限ることが適切であると考えます」とあり、11ページから12ページ目にかけて「皇室を存続させていくため、直系の子、特に男子を得なければならないというプレッシャーを緩和することにもつながるのではないかと考えます。」とあり、要するに、男系による皇位継承をも視野に入れた方策であるということのようである。

より明確に、この後の箇所に「また、皇位継承に関しては、養子となって皇族となられた方は皇位継承資格を持たないこととすることが考えられます。」とある。
これは少し分かりにくいのだが、これは養子となった方自身には皇位継承資格を持たないことともあるかもしれないということで、その方の子については皇族として生まれた方なので当然に皇位継承資格を持たせるということであろう。

明らかに男系男子の皇位継承資格者の確保策である。

筆者としては、現状で、皇位継承資格者の確保は重要な課題であると認識しており、男系継承の維持というのも、現行の皇室典範で採用されている制度ではあるのだから、その観点に立っての議論というのもあるべきだと思っている。
ただ、議論をするのであれば、「皇位継承の問題と切り離して」と言って誤魔化したりせず、正々堂々とした議論を行うべきなのではないだろうか。

5 当事者の人生についてどこまで思いをめぐらした方策なのだろうか
順番が逆になってしまったが、①についても、何ともなぁという感じである。

10ページ目のところで、「和宮として歴史上も有名な親子内親王(第120 代仁孝天皇の皇女)は、徳川第14 代将軍家茂との婚姻後も皇族のままでありましたし、家茂が皇族となることもありませんでした。」とあり、女性皇族は婚姻後も皇族のまま、かつ、相手方は皇族としないという方策のようなのだが、その家庭生活は、一体どのようなものになってしまうのだろうか。

徳川第14 代将軍家茂との婚姻の話を持ち出されても、現代日本における家庭生活の在り方のイメージにはつながってこない。

そもそも、この例における親子内親王は、婚姻後も皇族のままではあったとしても、将軍家に嫁入りしたということには変わりはなく、嫁入り後は将軍家の流儀にのっとって生活をされたのではないだろうか。
そしてこのことは、皇族としての身分を保持し続けても、将軍家の流儀にのっとって生活をする上で支障がないという条件の下で、可能だったのではないか。

①の方策というのは、女性皇族に結婚後も「皇族として様々な活動を行っていただく」ためのものであるから、皇族としての身分を保持しつつ嫁ぎ先の流儀にのっとって生活するというのではなく、むしろ逆のようである。

親子内親王の例とは逆に、結婚の相手方(民間男性)に皇室としての流儀にのっとって生活をしてもらうという場合、民間男性の身分、すなわち、政治、経済、表現等に関わる自由が保障された身分というのは、皇室としての流儀に衝突するのではないか。

そのような自由の制約を迫るというのであれば、結婚の相手方(民間男性)に皇族としての身分を持たせるというのが筋なのではないか。

あるいは、どちらかの流儀に合わせるということはせず、それぞれ結婚前の身分に基づく生活を維持するというのであれば、そもそも結婚とは何なのだろうか。

この方策について、まず気になるのは、異なる身分の夫婦の家庭生活がどのようなものになるであろうかということなのであるが、10ページ目の中ほどに「ただし、この方策に反対する考え方もあります。その代表的なものは、女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持することが皇位継承資格を女系に拡大することにつながるのではないか、というものです。」とある。

正直、あきれてしまう。

「代表的なもの」とあるのだが、このような思考を巡らせるのは、男系維持に凝り固まった一部の少数派だけなのではないか。

6 元女性皇族の役割について
13ページ目に、「婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族」に、皇室の活動を支援していただくという方策について言及があり、この報告における結論では採用しないということになっているが、改めて読んでみると、元女性皇族に必要な役割を果たしていただくというのは、選択肢として十分にあり得るものと思われる。

とりわけ、13ページから14ページ目にかけて、「摂政や国事行為の臨時代行や皇室会議の議員という法制度上の役割は、「元皇族」では果たすことはできません。」とあるのだが、このうち「皇室会議の議員」については、立法論まで含めて考えるのであれば、「元皇族」に役割を果たしてもらうというのは、可能なのではないだろうか。

7 誰に向けた言葉なのだろう
15ページ目から、締めくくりの文章となっている。
会議のメンバーが真摯に、慎重に議論したということは、その通りであろうと思う。

問題は、それらの議論のまとめ方である。

この箇所でも、「皇位継承の問題とは切り離した上で皇族数の減少が喫緊の課題であるという共通認識の下に、皇族数の確保に向けてできるだけ多様な選択肢を提示するという考え方に立って」と述べているが、そのすぐ後に、「これらの方策を実現することは、悠仁親王殿下の後の皇位継承について考える際も、極めて大事なことであると考えます。」とあり、将来の皇位継承のことも念頭に置いているということであろう。

皇位継承の議論をするならするで正面から取り組むべきであると思うのだが、それを避けようとしつつ、男系維持の方策を盛り込もうとするので、何とも不誠実な感じがしてしまう。

福沢諭吉の「帝室論」の「帝室は政治社外のものなり」を引用しているが、それならなぜ、最初の方であんなに政治家の名前を記すのであろうか。

この報告は、男系継承ということに凝り固まり、それ以外の方策については何も考えたくないというような、化石化した脳の持ち主には違和感を生じさせないのかもしれないが、まじめに考えようとする人間の心には、あまり響かないものとなっている。

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